東京高等裁判所 昭和63年(う)628号 判決 1991年10月14日
本籍並びに住居
神奈川県藤沢市湘南台六丁目二八番地の一〇
会社員
矢部一夫
昭和一一年三月二九日生
右の者に対する相続税法違反、所得税法違反被告事件について、昭和六三年二月二四日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官平本喜祿出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人下村幸雄及び同高橋修連名の控訴趣意書並びに「答弁書に対する反論」と題する書面に、これに対する答弁は、検察官平本喜祿名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中、控訴手続の法令違反の主張について
所論は、要するに、原判決の挙示する被告人の検察官に対する昭和六〇年八月一〇日付、同一二日付、同一三日付(七八枚綴りのもの)及び同月一九日付(四枚綴りのもの)供述調書は、検察官が知的能力の低い被告人を強引に誘導し、あるいは被告人に対し執拗な理詰めによつて心理的圧迫を加え、自白を強要するなどして作成したものであつて、検察官においてこれらの調書の任意性を立証する責任を尽くしていないにもかかわらず、漫然その任意性を肯定した上、これらを証拠として採用した原判決には訴訟手続の法令誤りが存し、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。
そこで、原審記録及び証拠物を調書して検討するに、所論が指摘する被告人の検察官に対する各供述調書(四通)につき、いずれも任意性が認められるとして、これを証拠として採用した上、原判示第二の一、二の事実認定に供した原審の措置は正当として是認することが出来、その間に所論のような訴訟手続の法令違反を見出すことは出来ない。
所論に鑑み、更に補足して説明することとする。原審記録及び原判決の挙示する関係証拠によると、次の事実が認められ、これに反する原審公判廷における被告人の供述は、他の関係証拠に照らし到底措信出来ず、また、当審における被告人の供述をもつてしても、これを左右するには至らない。すなわち、
一 被告人は、八人兄弟の長男として出生し、昭和二六年三月中学校を卒業した後、ケーブル線の埋設工事、左官業の手伝い等を経て、昭和五七、八年以降、水道工事業を営んでいる合資会社モリヤ商会に勤務し、溶接及び配管等の作業に従事する傍ら、農繁期には自営の農業にも従事している者であるが、小・中学校時代の学業成績が余り芳しくない上、新聞等を読むのも苦手で精精ラジオやテレビの番組を見る程度に過ぎないものの、自動車の運転免許を取得している。
二 矢部家の跡取りとして遺産の全部を相続すべきものと考えていた被告人は、被相続人である父勝由の死亡後、その遺産の分割に腐心し、相続人間でその協議をするに先立ち、次弟の矢部慶三に対し、「お前達が今住んでいる所はそのままそこを使つていいからトキ子(被告人の妹で被相続人の長女)やセツ子(同次女)には金で我慢してもらいたいんだ。ごたごたが始まる前に何とかそれでまとめてくれ。近所の者もみなそうしている。」といつて、男兄弟にはそれぞれの当時使用していた土地を相続し、女兄弟には現金各一五〇万円を支払う方法により、遺産の分割協議が円満に成立するよう、その取纏め方を依頼する一方、協議の席上、その線に沿つた遺産の分割案を提示した上、提案者である被告人がその場に留まつていると話がしにくいだろうから席を外すといつて退席した。ところが、相続人の中には被告人の意図する方法で取り纏めることに難色を示す者が出て、なかなか協議が整わないと知るや、被告人は、被相続人が予め作成しておいた遺言書(遺産の全部を被告人に遺贈するという内容のもの)を示し、暗にその遺言書に従つて遺産の全部を被告人が単独で取得出来るかのような態度を示すに至つた。その結果、他の相続人らも譲歩したので、昭和五八年八月二〇日ころに至り、遺産の約七五パーセントを被告人が相続する旨の協議が整い、その旨を記載した遺産分割協議書が作成された。
三 被告人は、昭和六〇年七月三〇日、原判示第二の一、二の各事実により、横浜地方検察庁検察官検事吉田広司に逮捕され、翌三一日には、右の各事実により勾留(勾留場所横浜刑務所横浜拘置支所)され、同時に弁護人及び弁護人となろうとする者以外の者との接見を禁止する旨の決定もなされたが、他方、翌月三日には弁護士高橋修を自己の弁護人に選任し、その旨を記載した書面を横浜地方検察庁に提出して、その弁護活動を受け得る態勢を整えた。
ところで、被告人は、同年七月三〇日、同年八月一日、同月六日から一三日まで、同月一五日、同月一九日の一一日間、横浜拘置支所において、右吉田検事の取り調べを受けて、原審で取り調べられた被告人の検察官に対する供述調書九通(同年七月三〇日付、同年八月一〇日付、同月一二日付け、同月一三日付二通、同月一五日付二通、同月一九日付二通)が作成されたが、同月二日から同月五日まで、同月一四日、同月一六日から同月一八日までの八日間は取調べを受けた形跡は存しない。のみならず、その取調べも、最も早く開始されたのは午前九時五九分ころからであり、最も遅く終了したのは、午後九時二五分ころであつて、深夜にまで及んだ事実は全く窺えない。しかも、取調べが長時間にわたるときは、その都度休憩を取つており、連続して取り調べたもののうちで、最も長時間に及ぶものは、同月一二日の午後一時一〇分ころから午後八時三五分ころまでの一回だけであり、それも七時間二五分位に過ぎず、ほかの取調時間は一回につきいずれも四時間未満であつて、特に同月一九日午前の取調べは、その所要時間が一時間にも満たず、すべての取調期間を通じて、その取扱を異にしたような事情なども認められない。なお、右の各所要時間は、いずれも調書の作成時間も含むのである。
四 被告人は、これらの調書を読み聞かされた後、その都度、その記載内容に誤りがない旨申し立てて署名指印しているほか、同月一三日付調書では、同月一二日付調書の記載内容を一部訂正する申立をしている。
以上の認定事実に照らしてみれば、被告人の検察官に対する所論各供述調書の任意性に疑いはなく、これを証拠に採用した原判決に所論の違法はない。
ところで、所論は、被告人は知能が低く、判断し、表現する能力が著しく欠けている上、気が弱くて他人のいうことに逆らえない性格であり、そのことは被告人の妻矢部マツ子、妹矢地トキ子、弟矢部恒夫らの供述に現われているほか、被告人の原審公判廷における供述をみれば明らかであり、このような被告人の知能程度、非自主的、非自発的な性格から、その検察官に対する各供述調書中の自白の任意性に疑いのあることは明白であるという。
なるほど、被告人の原審公判廷における供述をみると、被告人は、原審検察官などの質問に対し、長時間にわたり黙して答えず、あるいは、忘れた、覚えていないので分からないなどと供述し、執拗に問い質されても、質問の意味を理解出来ないとか、自分は頭が悪いからなどと述べて、質問に対する答を回避し、更に、一旦認めた事項であつても簡単に否定するなどの態度に出ており、一見所論を裏付けるかの如くであるが、これを子細にみれば、被告人がこのような態度に出ているのは、質問を肯定すれば自己に不利益となり、また、否定すればその論理的矛盾を追及されて返答に窮するような事項に限られており、返答しても自己に有利であるか、利益にも不利益にもならないような事項に関しては、よどみなく供述していることが看取されるのである。したがつて、被告人は、ある程度知能の低いことは認められるが、却つてそのことを逆手に取り、知能の低さを誇大に強調しながら、その実、検察官らの質問事項をよく理解した上で、これに答えることの利益、不利益を選別し、不利益な事項については、黙して答えないか返答をはぐらかすことによつて供述を回避し、やむなく供述せざるを得なかつたときには他の機会に逸速くこれを否定しておくといつたしたたかな態度を取つていることが窺われる。また、被告人が、自己の利益を守る術策に結構長けていることは、前示二の遺産分割の協議に際しての被告人の駆引きの巧妙さによつても裏付けられている。そして、当審公判廷における被告人の供述態度を観察しても、被告人の知能が所論のように劣つているものとは認め難いところである。
これに対し、所論援用の矢部マツ子らの供述は、被告人の知能や性格の一面を伝えてはいるものの、いずれも被告人の利害関係人であつて、被告人に利益な方向での誇張を含むものと解され、必ずしもそのままには信用出来ない。
そして、前示三、四の被告人に対する取調べの状況からしても、さして無理な取調べがなされた形跡は窺われず、右にみた被告人の原審公判廷における態度に徴しても、被告人がたやすく検察官の強制、誘導に屈したものとは認め難い。
所論は、検察官が、参考人の調書を基にし、割合短時間のうちに、流麗な文章で、かつ、被告人の理解出来ないような「架空債務」、「連帯保証債務」、「違法な方法による脱税」などという用語を駆使して、本件調書を作成しているが、これは被告人が検察官のいうとおりにすれば、早期に釈放されると思い、極めて安易な気持ちで本件各調書の作成を検察官に一任してしまつたためであつて、そのような調書に任意性を認めることは出来ない旨主張する。
確かに、被告人は、原審公判廷において、架空債務、連帯保証債務、違法な方法による脱税等の意味を理解することは出来ず、検察官から「君が一番軽いのだから」といわれ、取調べが終了すればすぐにでも釈放されるものと信じ、検察官にいわれるとおりの供述をしてしまつた旨、所論に副う供述をしている。しかしながら、被告人は、原審公判廷において、自ら進んで「債務」という用語を使用しているばかりでなく、被告人の検察官に対する昭和六〇年八月一〇日付供述調書第一〇項(この部分については、任意性が争われておらず、同意書面として取り調べられている。)には、検察官が被告人に「今示した手書きの協議書には債務について何も書かれていないがどうしてか。」と質問したのに対し、被告人が「父には借金がありません。父は借金するような人ではなく、借金をしていたという話も死ぬ前頃聞いたことはなかつたのです。父が死んだ時点で父に借金があるとは全く考えていませんでした。父が死んでからも借金取りなど来ませんでした。ですから、父の借金、負債は協議の席では全く話題とはならなかつたのです。ですから父の負債をどうするかという話も一切出ず、当然のことながら協議書にも出ていないわけです。」と供述した旨記載されていることに鑑み、被告人は、「架空債務」や「連帯保証債務」などの法律用語の正確な意義は知らないにせよ、そのおおよその意味内容は相当程度理解していたものと認められる。また、検察官が供述調書を録取する場合、供述者の用いた語句や表現を逐一記載したのでは却つて意味が通じ難いようなときは、その趣旨を変更しない限度において、適宜他の語句と置き換えたり、表現を整理して分かりやすくすることは当然許されるところであつて、その結果、調書の内容が被告人の日頃の口調よりも流暢な感じを与えたとしても、そのことから直ちに当該供述調書の任意性に疑いがあるものということは出来ない。のみならず、被告人が検察官に「君が一番軽いのだから」といわれただけで、早期釈放を期待し、自己の供述内容を検察官に一任したとする被告人の所論に副う原審公判廷における供述も不自然であつて、到底措信することが出来ない。
なお、所論は、被告人の検察官に対する自白は被告人と原判示第二の一、二の犯行とを結び付ける唯一の直接証拠であるから、その重要な点において客観的証拠による裏付けを必要とするところ、この点については何らの補強証拠も存しないと主張する(控訴趣意書第三の五、六の各(二))。しかし、被告人と原判示各犯行との結び付きは、納税義務者である被告人が、所轄税務署長に対し、自己の名において虚偽過少の相続税申告書及び所得税確定申告書を提出し、そのまま法廷の納期限を徒過させた行為そのものにあるのであつて、この点についての補強証拠は十分である。所論が補強証拠を欠くと主張するのは、逋脱の故意の存在に関する自白であつて、故意の存在は、犯罪の成立要件ではあるが、被告人と犯行との結び付きを示すものではなく、かかる主観的要件についてまで補強証拠を要するものでないことは多言の要をみない。所論は、独自の法令解釈に基づくものであつて採用の限りでない。
以上のとおり、訴訟手続の法令違反をいう論旨は総て理由がない。
訴訟趣意中、事実誤認の主張について
所論は、要するに、被告人は原判示第二の一、二の各事実につき、架空の債務を計上して、相続税や所得税を免れようと企てたことはなく、逋脱の犯意も有しておらず、また、共犯者らと右の各犯行を共謀した事実がないにもかかわらず、そのいずれも肯定した原判決は、被告人の自白の信用性に関する評価を誤り、事実を誤認したものであつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。
そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討するに、被告人が、塚越治義、小島葵、庄司孝英、世俵利美及び新開一史と共謀の上、本件相続税及び所得税につき、いずれも架空の債務を計上して、これらを免れようと企て、原判示第二の一、二記載の日時・場所において、それぞれ所轄の税務署長に対し、虚偽の内容を記載した相続税の申告書及び所得税の確定申告書を提出し、そのまま法定の納期限を徒過させ、もつて、不正の行為により、相続税六五七七万六三〇〇円及び所得税六七七〇万六四〇〇円をそれぞれ免れた旨認定した原判決は、いずれも正当として是認することが出来る。
所論に鑑み、更に、補足して説明するに、関係証拠によると、次の事実が認められ、これに反する被告人及び原審相被告人塚越治義の原審公判廷における各供述は、その供述内容自体極めて不自然である上、同人らの検察官に対する各供述調書の記載内容とも異なり、他の関係証拠に照らし、いずれもたやすく措信することは出来ない。すなわち、
一 被告人は、近所の人達から高額の相続税を課せられて困却している旨聞き及んでいたので、被相続人の有していた宅地、畑、田、アパート等四億円ないし五億円相当の資産を相続すると、約一億円相当の相続税が課せられるものと予測していたほか、被相続人から生前にその所有する土地(神奈川県藤沢市高倉字下原三〇番一、三一番一)を売却して相続税を納付するようにいわれており、また、所有する土地を譲渡した場合、その譲渡所得に所得税が課せられることも承知していたので、相続税の納期限や土地譲渡に要する期間等を見込み、本件相続開始後約二週間位したころ、不動産業者に右土地の売却方を依頼する一方、隣家の塚越治義(以下「塚越」という。なお、被告人の父勝由が以前塚越の父正治方において作男として働いた関係で、親戚関係はないものの、矢部方では正治方を本家と呼んでいたので、被告人も、その後継者である塚越を尊敬し、何事も同人に相談するなどしていた。)に対し、相続税の納付資金を捻出するため、右土地を売却することとした旨伝えるなど、相続税や土地譲渡等に関する所得税につき、本件相続開始の前後を通じ相当の知識と関心を有していた。
二 塚越は、原判示第一の一、二のとおり、小島葵ら本件の共犯者に依頼して多額の脱税に成功したことから、昭和五八年五月下旬か六月初めころ、被告人に対し、「四国の方に偉い人がいて税金を安くしてくれるというので、うちでは一切任せてやつて貰つた。半分位で済んだ。お前のところでも、もしその気があるなら相談に乗るから。」という趣旨の話をした。これを聞いて、被告人は、まともなやり方でそんなうまい話がある訳がないと思い、逡巡したものの、結局「じゃあ、それ頼んでみて貰いたい。」と、他の相続人の分を含め、本件相続税の申告方を小島らに委ねることとした。
三 その数日後、塚越は、被告人に対し、経理の仕事をしているという松原義貫の名を挙げ、同人に説明して申告書類を作つて貰えば後は四国の人の方でしてくれるといい、同年六月下旬ころ、塚越の妻が被告人方に松原を連れて来て紹介した。松原は、税金は「おおざつぱにいつて一億二、三〇〇〇万円」といい、不動産の評価証明書、相続人の戸籍謄本その他の必要書類を取り纏めておくよう指示した。
松原は、遺産分割の協議にも毎回立ち会つてくれたが、その席上、本件の相続税は一億一六〇〇万円位ともいつていた。同年八月二〇日ころ、ようやく遺産分割の協議が整つたので、同年九月下旬ころ、松原から遺産分割協議書や相続税申告書を交付されたが、右協議書には、被告人が総遺産の約七五パーセントを取得する旨が記載され、右申告書には、被相続人が債務を負つていた旨の記載はなく、相続人八名の法定相続分に基づいて計算した相続税の総額が一億一七四四万二二〇〇円、被告人の納付すべき税額が八八〇八万一六〇〇円であることが記載されていた。
四 一方、塚越は、前示二の被告人の依頼を受けて、そのころ共犯者の一人である庄司に電話して本件相続税につき不正行為を伴う申告手続きを依頼し、その承諾を得たので、同人らと打ち合わせをすべく、同年八月下旬ころ、被告人を伴つて東京都港区赤坂所在の東急ホテルに赴き、小島や庄司らに対し、「こちらが矢部ですが、よろしくお願いします。矢部は、土地を売りますので、その件もよろしく頼みます。」といつて、被告人を小島らに紹介した上、本件相続税等につき、不正行為を伴う申告手続を依頼した。その際、被告人も、「お願いします」といつて、小島らに右同様の申告手続を依頼したので、小島らもこれを承諾した。その後間もなく、右小島は、電話で共犯者である税理士の世俵利美に対し、被告人の本件相続税を申告するに当たり、架空の保証債務を計上して相続税額を零にするよう指示した。
五 被告人は、同年九月二一日、前記松原の作成した本件相続税の申告書等関係書類を持参して、塚越と共に上京し、前記東急ホテルで小島や庄司らと会い、右書類等を庄司に渡したところ、これらが同人から世俵に手渡された。そして、庄司と世俵とは相談の上、被告人の相続税につき、約二億円の架空債務を計上すると、その税額が零になるが、他の相続人の関係もあるので、二億九八〇〇万円の保証債務を計上することとした。そこで、世俵は、事務員の新開一史に対し、その旨を記載して相続税の申告書を作成するように命じた。その結果、同人は、庄司孝英を債権者とする被相続人の右架空債務につき、被告人において二億八八〇二万九一五一円を、矢部慶三において九九七万〇八四九円をそれぞれ相続したこととして、被告人の本件相続税が零にある旨、内容虚偽の申告書を作成した。
六 翌二二日、被告人は、塚越と共に所轄の藤沢税務署付近の喫茶店「井筒」に赴き、同所で、共犯者の小島、庄司、世俵、新開ほか一名らと落ち合つた。
その場で、世俵は、被告人に対し、新開の作成した前記申告書を示し、「債務を増やして、あなたの相続税を零にしてあり、増やした債務は、あなたと慶三の二人に載せてあります。したがつて、あなた以外の相続人の税も安くなつている。」と説明した。
その後、一同は、塚越と庄司を残して藤沢税務署に赴き、一〇分位で無事申告手続を済ませ、「井筒」に戻つた。同所で、被告人は、世俵から申告書の控えや各相続人についての相続税の納付書を渡され、一週間以内にその税金を納付するようにいわれたが、被告人の分の納付書はなかつた。
帰宅後、被告人は、被告人以外の相続人の納付書の金額を計算してみると、合計五一五万九二〇〇円に過ぎないことが分かつた。そして、傍らにいた妻マツ子に「こんだけ一週間以内に納めればいいんだ。自分のは零だよ。」というと、マツ子は「そんなことが出来るんだねえ。」と驚いていた。被告人は、世俵の説明を聞いていたので「架空債務を作つて零にするやり方もあるのかねえ。」といつて、申告書の控えを見ると、父勝由が庄司に対し連帯保証の債務を負っていて、それを被告人が二億八八〇二万九一五一円、慶三が九九七万〇八四九円負担することになつていることが分かつた。そこで、被告人は、そのころ右五一五万九二〇〇円のみを納付し、自己の相続税は納付しなかつた。
七 塚越は、本件相続税の申告手続を終了した後、庄司から電話で礼金として五五〇〇万円を用意するようにいわれ、その旨を被告人に伝えた。その連絡を受けた被告人は、翌々日の九月二四日、本件相続税の脱税報酬として五五〇〇万円を塚越に渡し、これを庄司に支払つて貰い、更に、同年一〇月一九日にも本件所得税の脱税報酬として三八〇〇万円を同人に前払いしたほか、塚越からも同様の趣旨で報酬の支払いを請求されたので、同月一二日三〇〇〇万円を同人の預金口座に振込送金した。
八 被告人は、昭和五八年一〇月一七日、神奈川トヨタ自動車株式会社に対し、前記二筆の土地を二億三七一六万円で売却したが、かねて、近所の人達から、土地を譲渡すると、譲渡代金の四割位の所得税が課せられる旨聞いており、塚越からも、「三五、六パーセント持つていかれるんじゃないか。」といわれていたので、前記土地を一坪当たり一〇〇万円で売却すれば、二億円を超える譲渡所得に対し七、八〇〇〇万円位の所得税が課せられるものと予測していた。
そして、被告人は、前示四のとおり、小島や庄司らに本件相続税の不正申告手続を依頼した際、塚越の口から土地譲渡所得の件についてもよろしくお願いする旨述べていた上、改めて塚越から本件土地譲渡所得につき、小島らに依頼して、所得税を免れるよう勧められたので、その気になり、小島、庄司らにその申告手続を依頼すると共に、同五九年二月ころ、確定申告に必要な関係書類を取り揃えて交付した。更に、同月末か翌三月初めころ、被告人方を訪れた庄司と新開から関係書類の不足を指摘され、これらを取り揃えて同人らに交付した。
九 その結果、小島らは、同年三月一三日、被告人には所得税法六四条二項所定の求償することの出来ない保証債務二億二〇〇〇万円(湯浅幸雄が庄司孝英から二回にわたり合計二億二〇〇〇万円を借り受けた際、被相続人矢部勝由がこれを連帯保証したので、被告人が同年七月二〇日に一億三〇〇〇万円を、同年一二月二五日に九〇〇〇万円をそれぞれ支払つたが、これを回収することが出来ないという内容のもの。)があるとして、被告人の同五八年中における分離課税による長期譲渡所得金額は零であり、農業、不動産及び給与の各所得に対する所得税は八九万六四〇〇円である旨虚偽の内容を記載した所得税の確定申告書を作成し、これを所轄税務署長に提出した。その後、小島らは、塚越及び被告人に申告手続が無事終了した旨連絡し、同人らと喫茶店で落ち合い、納付書等の関係書類を交付して、右金額を納付するように伝えた。そこで、被告人は、右納付書記載の金額のみを納付し、その納付期限内に前記土地譲渡所得に関する所得税を納付していない。
なお、被告人は、庄司から塚越を介し、「金があつてはまずい」旨、本件土地譲渡による所得を秘匿するよう指示されたため、昭和五八年一二月二一日、被告人名義の預金口座から八七〇〇万円を一旦庄司の預金口座に振り込んだ後、同月二三日これを妻の弟である青木清四郎名義で開設した預金口座に振り替えるなどの工作をした。
一〇 被告人は、いずれも任意性について争いがなく、かつ、原審において同意書面として取り調べられた検察官に対する昭和六〇年八月一五日付(二一枚綴りのもの)供述調書で、「私は、父勝由の死亡により、相続したことの相続税や神奈川トヨタ自動車株式会社に売却した土地代金にかかる所得税を脱税しました。申し訳ないことをしたと深く反省しています。私はこれら脱税の申告のことは一切塚越治義さんに任せていました。そのため塚越さんが、四国の庄司孝英さん、小島葵さん、世俵利美先生、新開一史さんにその脱税の申告の手配をしてくれ、そのために実際に脱税することができたのです。このような悪いことをしてもらつたり、してもらうことの礼金として、相続税申告のすぐあとの昭和五八年九月二四日五五〇〇万円、一〇月一九日に三八〇〇万円を庄司さんら四国の人に支払いました。その礼金のことも塚越さんから云われていたことで、塚越さんが庄司さんらの話を私に伝えてきてそれにすぐに応じて金を支払つたのです。」と、同じく同月一九日付(一七枚綴りのもの)供述調書で、「私は相続税の脱税の礼金として五五〇〇万円を昭和五八年九月二四日、所得税の方の脱税の礼金として三八〇〇万円を昭和五八年一〇月一九日に庄司さんらに支払いました。合わせて九三〇〇万円を礼金として支払つたことになります。私は、脱税を塚越さんを通じて頼み実際にしてもらつたこで、このような礼金については相手方にやったもので、返してもらおうとも思つておらず返してもらえるものとも考えてはいませんでした。」とそれぞれ供述している。
以上認定したとおり、(1)被告人は、本件相続や土地譲渡所得に関し、相当多額の相続税や所得税が課されること、被相続人である父勝由は、生前本件共犯者である庄司とは面識がなく、もとより同人に対し多額の債務を負つている事実もないことを十分承知していながら、塚越に勧められるまま、これらの税金を免れようと考え、小島以下の共犯者らと直接会つて、不正な方法による税額の軽減方を依頼し、同人らの指示に応じて関係書類を取り纏めて提供するなどしており、(2)本件相続税の申告に当たつては、事前に世俵から申告書を示されて、架空債務を計上して被告人の相続税額を零にした旨の説明を受けた後、自ら共犯者らと共に所轄税務署に赴いて申告手続を遂げており、その後、申告書の控えや納付書を点検して、父勝由の庄司に対する架空債務を計上する方法により自己の相続税額が零となるからくりを知つたものであり(ちなみに、本件逋脱犯の既遂時期は、申告書提出の時ではなく法定納期限を徒過した時である。)、その報酬として共犯者らに多額の謝礼を提供しているのであり、(3)本件土地譲渡所得についても、本件相続税についての不正工作を依頼する時点で併せて依頼し、その後多額の謝礼を前払いし、あるいは庄司の入れ知恵により所得金額を借名口座に移動させて秘匿するなどした上、共犯者らが相続税のときと同様の不正な方法で所得税を免れさせることを予期しながら、同人らに所得税申告手続を一任しているのであるから、被告人は、本件相続税及び所得税を逋脱する意思で本件共犯者らと共謀し、これを実現したものと認めるが相当であり、これと同旨の認定をした原判決に所論の事実誤認はない。
所論は、被告人の検察官に対する供述調書中の自白には、秘密の暴露に当るものがない上、客観的事実に反する点が含まれ、また、被告人には犯行の動機もないので、被告人の原審公判廷における供述と対比して、信用性がないことが明らかであると主張する。
なるほど、被告人の自白に秘密の暴露に当たるものが見当たらないことは所論のとおりであるが、本件は、被告人の単独犯行ではなく、多数の共犯者が犯行を自白しており、また、申告書その他多数の証拠物も存する事案であるから、本来、被告人の供述から捜査官の知り得なかつた新たな事実が現れる可能性は乏しいのであつて、被告人の自白に秘密の暴露が含まれていないとしても何ら怪しむに足りず、そのことの故にその信用性を否定すべきいわれはない。
次に、塚越が被告人に対し本件相続税の逋脱を勧めたときの対話の状況につき、塚越の供述と被告人の自白との間に食い違いのあることも所論のとおりであるが、塚越の供述が客観的真実に合致するとの保証はなく、これを信用すべきものとするのは所論の独断にほかならない。そして、よしんば塚越の供述が正しく、被告人の自白が誤りであつたとしても、税金が半分になるか、税金の半分の礼金で済むかのいずれにせよ本来の税金を免れることに変わりはないのみならず、右の対話は本件犯行に至る端緒に関するものであつて、被告人は、その後世俵の説明を聞き、申告書の記載や納付書を見るに及んで本件相続税の申告が虚偽であることを承知するに至つているのであるから、逋脱の故意に欠けるところはなく、右の対話に関する自白の誤りは本件の事実認定に影響を及ぼすものではない。
更に、所論は、被告人が本件各犯行に及んだ動機が存在しない旨主張するので検討するに、関係証拠によると、被告人は、本件各犯行前に、約一億円の相続税及び七、八〇〇〇万円の土地譲渡所得税が課せられるものと予測していたところ、塚越から四国の人に依頼すると正規の納税額の半分位を支払えば良いので、同人らに本件相続税等の申告手続を依頼してはどうかと勧められるや、納税額が大幅に減額されることに思いを致し、その勧告に従い本件犯行を決意したものであることが認められるから、被告人が本件犯行に及んだ動機は十分肯認することが出来るのであつて、所論は到底採用することが出来ない。
その他所論が縷々主張する点を十分検討してみても、被告人の操作段階における供述の信用性に疑いを挾むべき事情は全く認められない。
以上の次第で、事実誤認に関する論旨は総て理由がない。
よつて、刑訴法第三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 新田誠志 裁判官 浜井一夫)
昭和六三年(う)第六二八号
○ 控訴趣意書
被告人 矢部一夫
右の者に対する相続税法違反及び所得税法違反被告事件につき、弁護人は左の通り控訴の趣意を述べます。
昭和六三年八月三〇日
右主任弁護人 下村幸雄
弁護人 高橋修
東京高等裁判所第一刑事部 御中
控訴趣意書目次
控訴の趣旨・・・・・・一九六四
控訴の理由・・・・・・一九六四
第一 原審の認定事実と本件の問題点・・・・・・一九六四
一 原審認定事実・・・・・・一九六四
二 本件の問題点・・・・・・一九六五
第二 訴訟手続の法令違背・・・・・・一九六六
一 任意性の挙証責任は検察官にある・・・・・・一九六七
二 被告人の自白調書には任意性がない・・・・・・一九六八
(一) 被告人の知的能力の低さ・・・・・・一九六八
(二) 被告人の非自主的・非自発的な性格・・・・・・一九七一
(三) 原審公判廷での供述の状況から・・・・・・一九七二
(四) 自白調書が作成された状況・・・・・・一九七七
第三 事実誤認・・・・・・一九八七
一 本件の基本的問題・・・・・・一九八七
(一) 矢部家と塚越家の関係・・・・・・一九八八
(二) 被告人と塚越の関係・・・・・・一九八九
(三) 検察官が直接逮捕・取調べをした・・・・・・一九九〇
二 被告人が犯行に巻き込まれた経緯-本件の真相・・・・・・一九九〇
三 自白調書には信用性がない・・・・・・一九九三
(一) 自白調書の概要・・・・・・一九九三
(二) 捜査官の作成する供述調書の問題点・・・・・・一九九九
(三) 裁判官の仕事は自白から始まる・・・・・・二〇〇〇
(四) 罪の意識がない「自白」・・・・・・二〇〇〇
(五) 秘密の暴露がない・・・・・・二〇〇一
(六) 自白の時期が問題・・・・・・二〇〇四
(七) 客観的事実との矛盾・・・・・・二〇〇五
(八) 動機があるのか・・・・・・二〇一二
四 被告人の原審公判廷の供述について・・・・・・二〇一四
(一) 公判廷での供述の優越性・・・・・・二〇一四
(二) 公判廷での課題・・・・・・二〇一五
(三) 第二七回公判供述について・・・・・・二〇一五
五 相続税法違反の故意について(原判示第二の一)・・・・・・二〇一八
(一) 検察官の主張・・・・・・二〇一九
(二) 検察官の主張の誤り(補強証拠の検討)・・・・・・二〇二〇
(三) 結論・・・・・・二〇二六
六 所得税法違反の故意について(原判示第二の二)・・・・・・二〇二七
(一) 検察官の主張・・・・・・二〇二七
(二) 検察官の主張の誤り(補強証拠の検討)・・・・・・二〇二七
(三) 結論・・・・・・二〇二八
七 被告人の原審公判廷における供述の検討-故意の不存在(原判示第二の一、二)・・・・・・二〇二八
(一) 塚越から誘われた時点での認識・・・・・・二〇二八
(二) 庄司らに依頼した時点での認識・・・・・・二〇二九
(三) 九月二二日の時点での認識・・・・・・二〇三〇
(四) 所得税の申告と脱税の認識・・・・・・二〇三〇
(五) 結論・・・・・・二〇三〇
八 共謀の不存在(原判示第二の一、二)・・・・・・二〇三〇
(一) 塚越との共謀・・・・・・二〇三〇
(二) 小島・庄司・世俵らとの共謀・・・・・・二〇三一
(三) 結論・・・・・・二〇三二
第四 おわりに-被告人は被害者である・・・・・・二〇三二
控訴の趣旨
原判決を破棄し、被告人に対し無罪の判決を賜わりたい。
控訴の理由
第一 原審の認定事実と本件の問題点
一 原審の認定事実
原審は、原判示第二の事実として
「被告人は、小島葵、庄司孝英、世俵利美、新開一史及び塚越治義と共謀のうえ、被告人の実父矢部勝由の死亡により同人の財産を相続した被告人の相続税について、架空保証債務を計上して課税価格を減少させる方法により、また、被告人が昭和五八年中に所有地を売却したことによる被告人の同年分の長期譲渡所得税について、架空保証債務を計上する方法により、それぞれ右相続税及び所得税を免れようと企て
一 昭和五八年九月二二日、同市朝日町一番地の一一所在の所轄藤沢税務署において、同税務署長に対し、被相続人矢部勝由の死亡により同人の財産を相続した相続人全員分の正規の相続税課税価格は三億二、五四五万五、〇〇〇円で、このうち被告人の正規の課税価格は二億三、七五七万四、〇〇〇円であったのにかかわらず、被相続人矢部勝由には右庄司孝英に対する二億九、八〇〇万円の保証債務があり、そのうち二億八、八〇二万一五一円を被告人において負担することが確定したので、取得財産の価格からこれを控除すると被告人の相続税課税価格は零で、納付すべき相続税はない旨の虚偽の相続税申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、被告人の正規の相続税額六、五七七万六、三〇〇円の全額を免れた(以下原判示第二の一の事実という)。
二 被告人に架空の連帯保証債務を計上するとともに、被告人において、昭和五八年中に右債務を履行するため被告人所有の土地を譲渡し、その履行に伴う求償権の全部を行使することができなくなったかのように仮装するなどの不正な方法により所得を秘匿したうえ、昭和五八年分の被告人の実際総所得金額が四八二万四、二五九円、分離課税による長期譲渡所得金額が二億一、六四五万一、八〇〇円であったのにかかわらず、昭和五九年三月一三日、前記の所轄藤沢税務署において、同税務署長に対し、被告人の総所得金額が六八二万五、八四八円で、これに対する所得金額は所得控除をして算出すると八九万六、四〇〇円であり、分離課税による長期譲渡所得金額は、所得税法六四条二項の規定によって零となり、これに対する所得税額はない旨虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、被告人の昭和五八年分の正規の所得税額六、八六〇万二、八〇〇円と右申告税額との差額六、七七〇万六、四〇〇円を免れた(以下原判示第二の二の事実という)。」
との事実を認定し、塚越と被告人は、「小島・庄司らのいわゆる脱税請負人に付け込まれたという面も存する」として、被告人を懲役八月罰金二、五〇〇万円(二年間懲役刑執行猶予)に処した。
二 本件の問題点
本件の基本的争点は、被告人が
<1> 「相続税につき、架空の保証債務を計上して、課税価格を減少させる方法により……相続税を免れようと企て」たかどうか
<2> 「長期譲渡所得税につき、架空の保証債務を計上する方法により……所得税を免れようと企て」たかどうか
つまり、被告人に犯罪事実の認識があったと言えるのかどうか、という点と
<3> 被告人が、塚越とはもちろんのこと、小島・庄司・世俵らと、いわゆる「脱税工作」について、なんらかの協議をしたかどうか
つまり、共謀と言えるものがあったかどうか、という点であった。
そして、本件では、脱税の認識と共謀があった旨の被告人の自白調書が決め手となっており、弁護人はそ任意性と信用性を極力争っていた。
ところが、原審は、弁護人が具体的に被告人の自白の不任意性を主張立証しているのに、検察官に任意性の立証をさせることなく、しかもなんらの理由も付さずに、任意性のない自白調書を採用し、信用性のないその自白調書に基づき、弁護人の詳細な無罪主張に対してなんらの証拠説明もせず、前記事実を認定して被告人を有罪としたものであって、原判決には、訴訟手続の法令違背及び事実の誤認がある。
そこで、以下、自白調書の任意性と信用性、事実誤認の順に論述して行くこととするが
<1> 被告人の知的能力の低さと消極的性格
<2>塚越に対する従属的人間関係
が本件を理解するためのキーポイントである。
本件は通常の脱税事件と全くその様相を異にしており、通常の経験則が通用しない世界の出来事である。
これらの諸点に十分ご留意のうえ、以下の論述をお読みいただきたい。
第二 訴訟手続の法令違背
一 任意性の挙証責任は検察官にある
(一) 刑訴法三一九条一項「強制拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白は、これを証拠とすることは出来ない」という規定によって、自白の任意性の挙証責任が検察官にあることは、はっきりしている。
被告人側が任意性を-しかも具体的な事実を主張立証して-争う限り、検察官において自白の任意性を立証する必要があることは、当然のことである。
(二) 弁護人が任意性を争った自白調書は、次の通りである(原審弁護人作成の昭和六〇年一二月一六日付検察官証拠申請に対する意見(二))。
昭和六〇年八月一〇日付調書第一項
昭和六〇年八月一二日付調書第一、二、五、八、九、一一ないし一六項
昭和六〇年八月一三日付調書第一、六、七、九ないし一四項
昭和六〇年八月一九日付調書全部
(三) 原審弁護人は、昭和六二年五月一五日付「検察官の証拠申請に対する意見」と題する書面において、被告人の自白に任意性がないことを、多くの根拠をあげて主張した。
そして、前最高裁判所判事谷口正孝氏の論文(「法服を脱いで」ジュリスト八八一号六六頁)を引用しながら、「捜査の過程で、ひとたび自白調書が作成されてしまえば、事件はその筋書きに従って組立てられ、『合理的な疑いを容れない程度の証明』が、この自白を覆すための証拠として、逆に、被告人側に要求されるという、奇妙な転倒した論理が操られ」ることの危険性を指摘し、被告人の自白に任意性があることこそ、検察官が、積極的に立証すべきテーマであることを明らかにした。
そのうえ、被告人質問等によって、被告人の「自白」が任意になされたものでないことを立証した。
ところが検察官は、自白の任意性について何らの立証もしなかった。
それにもかかわらず、原審は、自白に任意性ありと決定して、これを採用したのである。
谷口氏は、同じ論文で「自白調書の任意性を肯定するために用いられる安易な作文は跡を絶たない」と嘆じられたが、原審は、その安易な作文をする労さえ惜しんだのである。
これは、驚くべきことである。
民事訴訟においては、原告が立証責任を負う重要事実について、被告が合理的な反論を提出しているにかかわらず、原告が何らの立証活動もしないなどということは、有り得ないことである。もしそのようなことがあったら、原告が敗訴することは、火を見るよりも明らかである。
ところが、原告官に対して、民事訴訟における原告よりも厳格な立証責任が課せられている刑事訴訟において、原審は、原告官の立証責任を事実上免除したのである。
原審の訴訟手続が、刑訴法第三一九条一項に違背していることは、明らかである。
二 被告人の自白調書には任意性がない
本件自白調書の任意性の有無を判断するためには、被告人の知的能力ないし理解力の程度及び被告人の性格に対する理解が不可欠である。
(一) 被告人の知的能力の低さ
1 被告人は子沢山の貧農の長男に生れ、子供の時から家の手伝いをさせられ農繁期になると農作業をさせられて、ろくに学校へ行かせて貰えなかった。
六人ある兄弟の中で、高校へ行かせて貰ったものは一人もいない(被告人六〇年七月三〇日付検察官調書第一、二項、第二七回公判速記録八八丁裏~八九丁表)。知的な雰囲気の全くない家庭に育ったのである。
このため、生来低い知能が一層未発達のまま大人になってしまった。一冊の本も読まないし、新聞を読むということもない。当用漢字も余り読めない。知的好奇心や知的能力ないし理解力が著しく欠けているのである(右速記録八九丁裏~九〇丁表)。
本件で問題になる「保証債務」とか「連帯保証」とか、まして「架空債務」などという言葉は、およそ被告人の理解の外にある(同速記録九〇丁裏~九一丁表)。
被告人の日常は、朝早く起きて自分で茶をわかして飲み、朝食後はモリヤ商会へ仕事に行き、農繁期や日曜日には農作業をして一所懸命働き、また、ひまがあると庭木の手入れや家の回りの清掃等小まめに動き回り、夜は食事をして座っていると眠くなって床に就く、というような単調な生活の繰返しである。
自動車の運転や機械の操作でも、加減をするということができない。こうしたらどうなるか、ということを考えないのである。物があっても衝突しないとわからないという調子である。(当審で、妻矢部マツ子の証言により立証したい)。
日常生活は、しっかり者の妻マツ子が支えている。税金の申告等も、すべて妻任せである(同速記録九二丁表)。
2 被告人は、配管工事等をするモリヤ商会に勤務するようになってから十数年にもなるのに(被告人六〇年七月三〇日付検察官調書第二項)、自分より後から入社した人達の下で、十年一日の如く、穴を掘ったりするような下働きの単純な肉体労働しかできないのである(同速記録八十八裏~九〇丁表)。採寸・計算等段取りの必要な仕事は苦手である。言われた通りするのだが、言われたことがよく分かっていないために、時々常識では考えられないような仕事上の失敗をする。自分で物を考えて、自分でやるという気がないのである。配管工の持つべき資格は取っていないし、取る気もない(当審で、雇主森功男の証言により立証したい)。
結局、被告人は、考えない、判断しない、そして次に述べる性格と相まって、人まかせである。
3 原審相被告人の小島は、被告人と顔をあわせたのは僅か二度である。そして、交わした言葉といえば「こんにちは」「よろしくお願いします」という挨拶だけである。
それなのに、被告人の知的能力が低いことをたちまち見抜いてしまい、捜査官に対して「矢部は………少し頭が弱い」と述べている(小島葵、八月一一日付検察官調書十七丁裏~十八丁表)。
また、小島は、第二四回公判廷において、「矢部は、税務署へ行って、いろいろの税務官吏の質問に耐えられるような能力のある人間とは思わなかった」と明確に述べている(同速記録十七丁表)。
4 さらに、塚越清五郎証人は、第三二回公判廷において、被告人の知的能力が、同部落の一般人に比較して、かなり低いことを明確に証言している。
5 矢部本人は、公判廷において、自分の知的能力が劣ることを素直に認め、他人に馬鹿にされても仕方がないと述べている(第二十七回公判速記録九一丁)。
6 原審弁護人も、そんなにひどいとは知らず、拘置所で打合わせたところに基づいて、「起訴状に対する否認」の書面を作成して第一回公判にのぞんだところ、被告人が、そこに書かれた当用漢字さえ読めないのに驚いた。
7 第二七回公判でも、第一回公判と同様に、被告人が、知的能力ないし理解力が極めて乏しい人間であることが、ありありと示された。
速記録では、単に「…………」でしか表現できないが、裁判長や検察官の簡単な質問の意味が理解できず、長時間考え込んでしまい、答を待ち切れない関係者を、いらいらさせたことが何十回あったことか。理解力だけでなく、自分の考えを述べる表現力も欠けているのである。
このために、被告人は、他の相被告人と同程度の質問事項に答えるために、優に他の被告人の三倍ないし四倍の時間を必要としたのである(尋問・返答に要した時間は、訴訟記録に残っていないが、これは自白の任意性・信用性を判断する重要な資料なので、特にご注意願いたい)。
8 このような状況は、第二八回公判でも、全く同様であった。
検察官の質問と違って、弁護人の質問は、被告人の予測できることばかりだった筈である。それなのに、弁護人の簡単な質問の意味を理解できず、見当違いの答えをしたり(第二八回公判速記録四丁裏~五丁表。同一三丁裏~一四丁表)、長考を続け黙して語らずという状況が、しばしば出現して、驚かされた。
被告人には、理解し、判断し、表現する能力が著しく欠けている。
(二) 被告人の非自主的・非自発的な性格
1 捜査官に対して、被告人の妹矢地トキ子は、「兄一夫はおとなしく、他人と話をするのさえ不得手の人で……」と述べている(矢地トキ子昭和六〇年八月一四日付検事調書二丁表)。さらに、弟の矢部恒夫も、同趣旨のことを述べている(矢部恒夫昭和六〇年八月一五日付検事調書一七丁裏)。
2 また、証人塚越清五郎は第三二回公判廷において、被告人の性格について、「馬鹿正直であり、他人の意見に逆らったり、他人の要求を断ることが絶対できない男である」との趣旨を述べている。
3 矢部本人は、公判廷で、その性格につき、ふだん家庭において妻や子供と意見が対立した時、自分が正しい場合でも自分から先に折れてしまい、家族と言い争いをすることは皆無であると述べている(第二八回公判速記録一七丁裏)。
4 妻マツ子の目からは、被告人は、人を疑うことを知らない、欲の無い、佛様の様な人に見えるとのことである(当審で、妻マツ子の証言により立証したい)。
5 被告人は、このように、他人と話をするのさえ苦手な極めて弱気でおとなしい性格であるうえ、さらに、自分の知的能力の低さや表現能力の劣弱性に対する強い劣等感を持ち、そのことが一層被告人を引込思案のもの言わぬ男としている。殊に、学識のある立派な人に対しては、絶対に逆らうことができず、言いなりになってしまうのである。
6 被告人は、このように、その性格が普通人とはかなり違っている。
以上のような、被告人の知能と性格の特異さを、充分理解していただかないと、本件事案の真相を解明することは不可能である。
当審で、被告人の知能・性格鑑定をお願いし、正しいご理解を得たいと考えている。
(三) 原審公判廷での供述の状況から
1(はじめに)
捜査官による密室での取り調べの様子がどうだったか、被告人がどのような態度で供述したかは、事柄の性質上、直接立証する証拠が余り多くない。
しかし、被告人は、捜査官に対する応答の様子は、公判廷での検察官の尋問の時と同様だったと述べているし(第二七回公判廷速記録九六丁表)、被告人のように馬鹿正直な人間には裏も表もないから、公判廷での質疑・応答の様子を検討することによって、捜査官に対する供述の様子を充分推定することができる。
2(誘導尋問による供述)
(1) 公判廷での供述で特徴的なことは、被告人は、殆どの場合、強くまたは繰り返し誘導されない限り答えないという事である。
被告人は、前記のように、質問の意味が分からず答えられないことが大変多いのであるが、ようやく答える場合も、検察官の長いまたは強引な誘導尋問の後に、ただ単に肯定するだけの短い返事をしていることが殆どである。第二七回公判速記録を見て頂きたい。検察官の長い質問あるいは繰り返し質問と、被告人の「はい」または「そうです」というだけの短い答が、なんと多いことか。
これでは、検察官が想像した答を、被告人に押し付けているだけで、被告人の任意の供述とは言えないことが、明白である。
(2) 誘導尋問も、事件の争点に関係のない事項であれば問題ないが、検察官の質問の多くが、そうでないことに、大きな問題がある。例えば
<1> 申告書の記載について、いきなり「あなたの名前の所を見て行ったら税金がゼロになっていたことはないですか」と誘導し、返事がないので何度も催促して、ようやく肯定の答をさせているところ(同速記録三八丁表)
<2> 被告人が、申告書にゼロと記載(実際は印刷である)された儘になっている理由ないし意味が、理解できなかったと繰り返し答えているのに拘わらず、検察官が「しかし、そのことでゼロになったんだなあということぐらいは分かったんでしょう。どういう債務をいれているか、あるいはいくら入れているか、そういう細かいことは別として、世俵から債務を入れて税金を安くしているんだと言われたとすれば、そのことで自分の税金がゼロになるんだなあという判断はつくんじゃないですか」と強引に誘導して、「はい」の返事を引き出しているところ(同四〇丁裏)
などは、到底、被告人の任意の供述ということができない。
(3) 殊に右<2>の場合、「細かいこと」こそが大事なのである。単に、申告書に税額の記載がないということが分かっても、それが納入すべき税金がゼロになることを意味するのだという仕組みが分らなければ、脱税かどうか分からないからである(被告人は、納入すべき税額が半分になることは聞いていたが、税額がゼロになる等ということを、誰からも聞いていなかったので、突然、前記のような申告書を見せられても、その記載の意味を理解できなかった)。
それなのに、検察官は、無理やりに、税額がゼロになったことを、事前に知っていた旨の返答をさせようと強引に誘導している。このような尋問によって得た答えは、被告人の任意の供述ではない。
なお、被告人は、途中では、この誘導尋問にひっかかってこれを肯定する返事をしているが、最後には、自分の本心に忠実に「……塚越さんに任しちゃったもんで、本当に自分は分かりません、何も」と述べ、それ迄の誘導に従った答を否定している(同四三丁裏)。
3(質問の意味を理解しない返答)
(1) 被告人は、質問の意味を全く理解できないのに、検察官の追及に窮し、その場を糊塗するようないい加減な返事をしていることが沢山あった。
(2) 例えば、昭和五八年九月二二日、喫茶店「井筒」で、世俵から説明を受けたことに関する第二七回公判廷での問答などがそれである。
最初は「……現在残っている記憶に基づいて話してくれませんか」という問いに対して「………分かりません」(同速記録三七丁表)、「はい、今記憶がありません」(同丁裏)と答えていた。
ところが、検察官が「………債務を入れてこれで税金を減らしているんだというようなことを言ってた」のではないか、と再三誘導すると、「世俵さんがそういうことを言われたと思います」と、これに乗っている(同丁裏)。
しかし、検察官が「当時そういう記憶があって話したわけですね」と念を押すと、今度は「なんか忘れました」と否定的な答えをしている(同三八丁表)。
次に、検察官が、「あなたの名前の所を下に見て行ったら税金がゼロになっていたことはないですか」と何度も誘導すると、「それは見ました」と肯定に変わった(同三八丁裏)。
ところが、「それを見てどう思いましたか」と聞かれると、「そこは見たには見ましたけれども、どうしてこういうふうになったか全然意味が分かりません」と答え(同三八丁裏~三九丁表)、検察官が重ねて追及すると、長考が延々と続いて、答えが出ない状態になった(同三九丁裏~四〇丁表)。
そこで、検察官が、前記のように「……細かいことは別として、世俵から債務を入れて税金を安くしているんだと言われたとすれば、そのことで自分の税金がゼロになるんだなあという判断はつくんじゃないですか」と強引に誘導すると、「はい」と乗ってしまう(同四〇丁裏)。さらに念を押されると、「はい、それは分かりました」(同四〇丁裏)というだけでなく、「債務を付けてあるからと思いました」(同四一丁表)とまで答えている。
ここまでくると、検察官の質問を充分理解して返答しているものと、誰でも思う筈である。ところがそうではなかったのである。
検察官が「………だとすれば税金が半分になっているんじゃなくて、半分以下になっているんでしょう」と誘導した上で
「それについてあなたはどう思いましたかという質問なんです」
と肝心のことを聞くと
「分かりません」
と答えている(同四一丁裏)。
これらの質問だけを見ると、被告人はしたたかにとぼけているだけだという印象を受けるかもしれない。しかしそうではない。被告人は大まじめなのである。
(3) 普通の知的能力、普通の理解力のある大人なら、大変に意味のある数字をみておりながら、何も思わない(分からない)等ということは、あり得ないことである。
まして、多額の相続税がどうなるのかという、誰でも大変関心を持つ場合なのであるから、「00」の不動文字以外に何も記載されていないことの意味について、充分に考える筈である。
それなのに、被告人は、何も考えなかったというのであるから驚く(その理由として、被告人は、「皆さんはそうですけれども、自分は本当にそういうことに関心がないんです、馬鹿で」と述べている-同七六丁表)。
(4) 被告人は、第二八回公判で、
「債務を入れると税金がゼロになるというのはどういうことなのか、分かるんですか」と聞かれて
「そんなこと分かりません」と答え、さらに
「あなたは、借金のある人は税金を払わなくてもいいと思っているんですか」と聞かれて
「思っていません」と答えている(同速記録一二丁表)。
結局、被告人は、相続税申告書を見ても、その記載(正確には「税額の記載がないこと」というべきである)の意味するところを理解できなかったのである。
そして、これに関する検察官の尋問の意味を理解しない儘で、苦手とする理詰めの質問攻めから早く逃れたいばかりに、その場かぎりの返事をしていたのである。
(5) 被告人は、このように、質問の意味もわからずに、安易に誘導尋問に乗ってしまう理由について
「検事さんに言われている意味が、自分はばかなんです。であるとか、ないとか最後の言葉で、どっちが何だか分からなくなって」
と述べている(第二八回公判速記録一七丁表)。
4 (むすび)
以上の検討によって、被告人は、知的能力ないし理解力が異常に低いために、普通の人なら当然分かるようなこともなかなか理解できず、理解しても適切に表現することができず、気が弱くて他人の意見に逆らうことができないために、誘導尋問を簡単に肯定し、さらに、執拗な理詰めの質問攻めから一刻も早く逃れようとする余り、分かりもしないことを、安易に分かったように返答していることが明らかとなった。
(四) 自白調書が作成された状況
1(はじめに)
このような被告人について、割合短期間の内に、流麗な文章で、しかし本人が理解できないという難かしい用語を駆使した、沢山の自白調書が作成されているのは何故か。
その経緯を、被告人が公判廷で述べたところによって明らかにすれば、次のとおりである。
2(内容を一任してしまった供述調書)
(1) 被告人は、検察官と裁判官の違いが分からず(第二七回公判速記録九三丁表)、「検察官という人は正しい人だと思って」おり(同九二丁裏)、塚越に全てを任せ、脱税申告の話を聞いておらず、自分が悪いことをしたとは思っていなかったので(同九三丁表、裏及び九四丁表)、捜査官から悪く扱われる筈がないと思っており(第二八回公判廷速記録一八丁裏)、捜査官も「君が一番軽いのだから」といってくれたので(第二七回公判速記録六〇丁裏、同九五丁裏)、取り調べが終わればすぐにも釈放されるものと信じており(同九三丁裏~九四丁表)、まして自分を起訴するために調書を作っているなどとは、毛頭思っていなかった(同九三丁裏、九六丁表)。
(2) その結果
「自分もそういうこと、お話が口べたで、お話ができないんです。で、検事さんが、皆さんの言っていることがこうだからと言われて、書かれました」(第二七回公判速記録一丁裏)
「検事さんは正しい人だから、検事さんの言うなりになっていれば、早く帰れると思いました。」(第二八回公判速記録一八丁裏)
という状況で、自白調書ができてしまった。
(3) つまり、被告人は、捜査官の役割、供述調書の作用及び自分の置かれた立場について、決定的な思い違いをしており(第二七回公判速記録九六丁表)、早く調書ができれば早く釈放されるという極めて安易な気持ちで、結局、調書の内容を捜査官に一任してしまったのである。
このような供述調書が、被告人の任意の供述を録取したもの、と到底言えないことは明白である。
3(強制と心理的圧迫による供述)
(1) 被告人に対する取調べは、起訴されるまで毎日くり返され、朝始まった理詰めの追求が夜九時の消灯時間迄続いたことも、度々だったと述べている(同九四~九五丁表)。
(2) 横浜拘置支所長からの回答書によると、被疑者として同所に勾留されていた被告人が、同支所内において、吉田広司検事によって取調べを受けた状況は次のとおりということになっている。
年月日 取調時間 合計時間
六〇年八月一日 一四時五〇分~二〇時〇〇分 五時間一〇分
同 年八月六日 一八時二八分~二〇時五五分 二時間二七分
同 年八月七日 一〇時四〇分~一二時一五分 一時間三五分
同 年八月八日 一四時三五分~二〇時五〇分 六時間一五分
同 年八月九日 一四時二八分~二〇時五三分 六時間二五分
同 年八月一〇日 一〇時一一分~一一時五〇分
一七時三五分~一九時一一分 計三時間一五分
同 年八月一一日 一〇時一一分~一二時〇五分
一三時一〇分~二〇時五五分 計九時間三九分
同 年八月一二日 一〇時二五分~一一時五二分
一三時一〇分~二〇時三五分 計八時間五二分
同 年八月一三日 九時五九分~一一時二五分
一二時五五分~一六時二五分
一七時二七分~二一時二五分 計八時間五四分
同 年八月一五日 一四時〇五分~一六時一五分
一七時二〇分~一九時一五分 計四時間五分
同 年八月一九日 一〇時四六分~一一時四〇分
一三時〇七分~一五時〇六分 計二時間五三分
(3) ところが、被告人は、この回答書の記載は、自分の体験した事実と違うと言うのである。
右回答書によると、八月二日から同月五日までの四日間、八月一六日から同月一八日までの三日間、取調べがなかったことになっているが、被告人は、調べのない日があったのは、一日間かせいぜい二日間くらいで、こんなに何日も調べのない日が続いた事実はない、と言うのである。
また、朝の取調べ開始時刻は、この回答書によると一〇時一一分が最も早いことになっているが、これも事実に反し、検察官が自宅から直行したといって朝九時から調べが始まったことが、何度もあったと言うのである。
さらに夜の取調べ終了時刻も、この回答書では二一時の消灯時刻を過ぎたのはたった一回だけとなっているが、これも事実に反し、被告人が看守から「消灯時間が過ぎ、みんなが休んでいるから、静かに歩くように」と注意されながら調室から居房へ帰ったことが、しばしばだったというのである。
拘置所に勾留されるなどということは、誠に異常な体験であり、忘れようとしても到底忘れることのできない強烈な体験である。「今日も、検事の調べがあるのかないのか」ということだけに関心を集中して生きてきた時期のことだけに、被告人の記憶は正確であると言わなければならない。
このようなことがあっては困るので、原審弁護人は、取調べ時間を記載した記録の提出をお願いし、裁判所も、「記載記録の抄本提出の方法によられたい」と特に注意を喚起されたにかかわらず、横浜拘置支所長は、正確性について何の担保もない書面によって回答してきたことは、誠に遺憾である(この点、等審において記録の取寄せをお願いしたい)。
(4) 右回答書によっても、被告人は、八月六日から一三日までは連続八日間にわたり調べを受けており、この内で夜遅くまでの調べがなかったのは、たった一日だけである。
被告人の供述調書の中で、「自白」調書として重要なのは、八月一二日付と同月一三日付である。
これらの調書が作成される前に、前記のような連日連夜の取調べが続いていることに、ご留意願いたい。
殊に、八月一一日は、合計九時間三九分もの最長時間の調べを受け、疲労こんぱいのところへ、翌一二日は、また合計八時間五二分の長時間の調べによって重要な調書を取られ、翌一三日はさらに八時間五四分もの長時間の調べの結果、また重要な調書をとられているのである。
昭和六一年一一月一九日の第二七回公判の様子を、ここに特記したい。
その日、検察官の尋問が午前約二時間、午後三時間続いた。被告人は午前のたった二時間の尋問でさえ頭が混乱し、「さっき何をいっていたのか、頭がボーっとしていたので、分かりませんでした」という状態になり(同公判速記録四八丁表)、「…………」ばかりで、答のない速記録ができている。
検察官の尋問が、九時間三九分、八時間五二分、八時間五四分と連日連夜続いたら、被告人の頭がどうなるか、容易に想像できるのではないか。
拘留期間が、真夏の暑い盛りだったことも、忘れてはならない重要事実である。
(5) 結局、被告人は、連日連夜の執拗な取調べに精神的肉体的に疲労こんぱいして食欲がなくなり、足も痛く、調書などどうでもよくなり、一刻も早く釈放されたいと切望していたのである(同九五丁裏)。検察官は、このような被告人を前にして、欲するままの自白調書を作成できたのである。
(6) 被告人は、公判廷で、検察官から「間違いないということで(自白調書に)署名指印したことは、それでいいですか」と問われたのに対し、「………自分も何点か違いますということを言ったんですが、それを書いてくれなかったんです。」と答えている(同一丁~二丁表)。
そこで、検察官が、主要な点をひとつひとつ確かめたところ、その全部が、被告人の意に反する記載であることが明白となった。
(7) 捜査官は、逮捕時に簡単な身上経歴調書を作成した後一〇日間は、被告人の話を聞いてメモするだけであった。
ところが、その後、調書を作成するようになると、被告人の言わないことを沢山書くので、さすがの被告人も「それは違います」と言うと、捜査官は机を叩いて怒り、自白を強制した(同六〇丁裏)。
他人とは当然のこと、家族とさえ言争いをしたことがない気の弱い被告人のことであるから、どんなにか驚いたことであろう。
また聞かれることの意味が分からず黙って考えていると、捜査官は、勝手にしろとばかり席を立ってしまい、被告人に不安を抱かせた(同一五丁、九五丁表)。捜査官は、「そんな態度では、いつまで勾留が続くか分からないぞ」といって、心理的圧迫を加えたのである(第二八回公判速記録一八丁表)。
その結果、「自分は口べたで、検事さんに逆らうとこわいので、検事さんの書かれるままになってしまいました。」(同四丁表)ということで、捜査官の満足するような沢山の自白調書ができたのである。
(8) 原審弁護人と被告人との勾留中の接見の際の状況も、これを裏書きしている。
被告人が逮捕されたのは、昭和六〇年七月三〇日である。弁護人が、横浜拘置支所で初めて面会できたのは、同年八月三日の午前一〇時五五分から僅か一五分である。
その時、被告人が最初に言ったことは「自分は何も悪いことをしていないので、正直にありのまま言っているのに、検事さんは、それでは理屈に合わないとか、他の人の言っていることと食い違っているとか言って、取り上げて下さらないので、困っています。どうしたらよいのでしょうか。」ということであった。
次に面会できたのは、八月一〇日であった。取調べの様子を聞いたところ、連日連夜にわたって、検事から厳しく追求されており、「自分は、とても検事さんに逆らえません。検事さんは頭が良くて、理詰めで迫ってこられるので、実際とは違うことでも、認めるような結果になってしまいました。自分が黙っていて調べが進まないと、この暑いのに、いつ迄もここに入っていなければならないといわれるので、もう諦めました。身体が大変なので早く出して下さい。」と答えるのであった。
(9) なお、もし横浜拘置支所長の回答が正しいとすると、八月三日は被告人(被疑者の)の取調べのない日である。
接見指定には、「現に被疑者を取調べ中であるとか………捜査の中断による支障が顕著な場合」という要件が必要である(最判・五三年七月一〇日、民集三二・五・八二〇)。
検察官は、被疑者が最も弁護人の援助を必要とする時期に、何らの要件もないのに、ただ自白を獲得したいがために、弁護人と被疑者の接見を僅か一五分に制限するという、違法な接見指定を行なったのである。
4(むすび)
(1) 被告人のように、知的能力に欠ける被疑者を担当した捜査官は、大変に骨が折れたことであろう。
他の共犯者の調べがどんどん進んでいくのに、一度考え込んだら何十分でも口を開けようとしない間抜けな被疑者-馬鹿正直で融通がきかず、捜査官の苦心の調書を否認したりする被疑者-を前にして、机を叩いて怒ったり、勝手にしろと席を立ってしまいたくなる若い捜査官の心境は、十二分に理解することができる。
そこで、捜査官がとった方法は、他の被疑者の供述を参考にし、捜査官が想定した事実を認めるように被告人を強引に誘導すること、強圧的な取調べ態度・心理的圧迫を加えて、自白を強要することだったと言えよう。
この結果、矢部本人が、その意味を全く理解できないという(第二十七公判速記録九〇丁裏~九一表)「架空債務」「連帯保証債務」「違法な方法による脱税」などという難解な用語が、沢山出てくる自白調書が出来上ってしまったのである。
(2) いずれにせよ、被告人の自白調書は、被告人の供述を録取したものでないことは確かである。
検察官の想定した事実による「供述」を、被告人が分かりもしないまま肯定したり、無理にうなづかされたり、黙っていたり、一旦は争っても結局は黙らされてしまったこと等が、自白調書になってしまったのである。
しかし、被告人には、自白調書に署名捺印を拒否する自由は、なかったのである。
このようにしてえられた自白調書は、任意性がない-少なくとも任意性に疑いがある-というべきであり、原審はこれを却下すべきであった。
しかるに、原審は、その疑いを全く払拭させないままに、これを採用したのである。
(3) 自白調書には、原審弁護人が守屋克彦判事の論文等を引用して示したような種々な特質がある。しかも、被告人の場合には、その知的能力の低さと特異な性格傾向から、その特質が倍加されているのである。
このことを理解しようと努力するのでなければ、被告人の法定供述や、まして自白調書の成立過程を理解することは到底できないであろう。
(4) 原審裁判長は、第四六回公判廷で、被告人が、横浜拘置支所長からの回答書の記録が自分の経験した事実と違うと述べたのに対し、「公務員の作成したものに間違いがある筈がない。」という趣旨の発言をし、原審の弁護人の批判を受けた(原審弁護人は、実際に弁論でも述べ、弁論要旨にも記載されて残っている。撤回や削除を命じられたことはない)。
また、同裁判長は、長時間取調べられたとの被告人の供述に対して、第四六回公判の最後に、次のように質問している。
「あなたは、この法定で、いろいろ弁護人から聞かれたり、検察官から聞かれたりして答えたんですが、その際に沈黙していることが長かったり、なかなか答えをしない状況が見られたんですけどもね、検察官から取調べを受けるときもそういう状況だったんですか。
はい、だから何度も席を立たれました、検事さんが。
あなたがなかなか答えないんで、検察官がしびれを切らして席を立つことが多かったということですか。
はい。
そういうせいで取調べ時間が長くなったということはないんですか。
………………。
あなたがもう少し早く答えたり返事をすれば早く取調べが終わったかもしれないけれども。この法廷で見ていて、あなたの話し方、しゃべり方の状況から見てなかなかあなたが答えなかったり、ずっと黙って長くおられたりするもんだから、この法廷でも随分時間がかかったんですよね、そういう状況だったために取調べ時間が長くかかったということはありませんか。
………………。
そういうこともあったわけでしょう。
ええ、そういうのあったと思います。
原審裁判長の言いたいことは、被告人がなかなか答えなかったり、長い間黙っていたりしたために、検察官が何度も席を立ったりしたのであって、取調時間が長かったのも当然だということであろう。
ここには、頭の悪い被告人が、理解できないような用語や、経験したことのない事実を押付けようとする捜査官の取調べに困り果てて、沈黙せざるを得なかった状況を、正しく理解してやろうとする姿勢や、検察官が何度も席を立ったことが、被告人にどのような影響を与えたかについて理解しようとする態度が、全くない。
(5) 原審裁判長は、第四六回公判において、自白調書の任意性を認めた理由を示して欲しい旨の原審弁護人の要望に対し、判決書に示す旨答えたのにかかわらず、判決書にはその点の判示が全くない。
しかし、多分、原審裁判長はこう言いたかったのであろう。
「公務員-それも検察官という高級公務員-の作成したものに間違いがある筈がない。被告人の言うことは信用できない。」
立証責任の完全な逆転である。
「自白の任意性は積極的に立証されるべきテーマであって、任意性を否定するについて逆に被告人側に合理的疑いを超える立証を求めるというのは事の順逆を誤るものである。」(谷口正孝前最高裁判事)原判決は訴訟手続の法令違背を免れない。
第三 事実誤認
原審は、被告人及び塚越治義の検察官に対する供述調書及び公判廷における供述等を掲げて原判示第二の一、二の事実を認定した。
しかし、起訴状に対する認否において明らかにしているとおり、被告人は
(一) 架空の保証債務を計上して、相続税及び所得税を免れようと企てたことはなく、また、このことについて他の原審相被告人らと共謀した事実はない。
(二) 塚越の紹介により庄司・小島に面会して相続税申告書の作成を依頼し、また昭和五八年九月二二日、藤沢税務署長当てに相続税申告書を提出して貰ったことはあるが、その時点で、詳細は知らされていなかった。
(三) 庄司・小島らに所得税申告書の作成を依頼し、これを藤沢税務署長宛に提出して貰ったことはあるが、その提出年月日も、申告書の内容も、その時点では全く知らされていなかった。
(四) なお、被告人は、塚越の紹介で、庄司らに対し、相続税及び所得税を通常の計算による半額程度にして貰う事を依頼した。しかし、その手続は合法的なものと信じており、どんな方法でやるのか等の具体的なことは、事前に何も聞いていないのである。これらのことは被告人の公判廷の供述や塚越の検察官調書や公判供述から明らかである。
しかるに、原審は、被告人の自白調書の信用性の評価を誤り、事実を誤認したものである。
一 本件の基本的問題点
この点の詳しい議論に入る前に、弁護人が、本件について基本的問題点と考える視点を、まず明らかにしておきたい。
(一) 矢部家と塚越家の関係
1 本件の真相を把握するためには、矢部家と塚越家との間の従来からの深い関係、被告人と塚越との特殊な関係について、充分な理解を必要とする。
そこで、まず、矢部家と塚越家との関係について説明する(以下、塚越治義第二八回公判供述、被告人第二七回公判供述、被告人昭和六〇年八月一三日付、同年八月一五日付-乙第六七号検察官調書等による)。
2 塚越の先代正治氏は、戦後の農地開放が実施される以前は、藤沢でも有数の大地主であった。農地開放で、大部分の農地が国に取り上げられた後でも、約三町歩もの農地が手元に残ったというのであるから、その規模の大きさが分かる筈である。昔は、塚越宅から徒歩約一〇分の電車の駅まで、他人の土地を全く踏まないで行けたというのもうなずける。
塚越の先代は、単に地主であるだけでなく、藤沢市の市会議員も務めた地元の名士であった。
3 他方、被告人の亡父勝由は、塚越家の作男として、同家に住み込んで働いていた。
被告人の亡母ヨシは、親も、生まれ場所も分からない孤児で、横浜の孤児院にいるところを塚越の先代に拾われ、同家の下女として働いていた。
塚越の先代は、この二人を親代りとなって結婚させた。亡父勝由は、約一、〇〇〇坪もあるという塚越邸の裏の畠の一部を借り、ここに小さな家を建てて世帯を持った。
亡父勝由は、世帯を持った後も小作人として塚越家の農地を耕作していたところ、幸運にも戦後に農地開放があり、これらの土地を払い下げて貰うことができた。
これで、やっと人並みの生活に近づいたのである。
4 両家の関係がこのようなものだったために、矢部家では塚越家のことを「本家」と呼んで尊敬し、塚越家に何かあれば真先に駆けつけるし、他方、塚越家では矢部家のことを、なんら親戚関係がないにもかかわらず、「新宅」とよんで分家扱いをしてくれているのである。
両家の位置関係は末尾添付地図の通りであり、両家の人々は、矢部家の裏を通って自由に行き来していた(当審で立証したい)。
(二) 被告人と塚越の関係
1 被告人は、前述のように、極めて小心で、知能の低いまじめな人間である。
2 他方、塚越は、前述のような大地主の家に生まれ、先代の後を継ぐべく教育を受け、塚越家の当主となった後は地元の小学校や中学校のPTAの会長を歴任し、さらに法務省の人権擁護委員を務めるほどの名士である。
3 したがって、学識に欠け、世間のことに疎い被告人は、「本家」の当主たる塚越を尊敬し、何事も塚越に相談し、言われる通りに処理してきたのである。親分肌の塚越は、よく被告人の面倒をみてくれており、本件が起きるまでは、このやり方で一度も間違いがなかったのである。
両人の関係は主従のようなものであった。
4 以上に述べたような両家の関係及び両人の関係を、十二分に理解していただけないと、被告人に対する裁判は砂上の楼閣となり、正義に反するものになってしまう。
本件検察官は、沢山の事件を抱え、これを僅かな日限内に処理しなければならないために、いま述べたような本件の特殊事情にまで、きめ細かく迫る余裕がなかったように見受けられる。このため、被告人に対する事件の処理は、一定の先入観によって定型的になされており、事件の真実から遊離したものになっている。
(三) 検察官が直接逮捕取調べをしたこと
1 本件には、もう一つ変ったことがある。
通常の刑事事件であれば、司法警察員が被疑者を逮捕し、詳細な取り調べ結果を記載した供述録取書と共に身柄を送検する。
検察官はこの供述の信ぴょう性をテストし、もし行き過ぎがあれば是正する機会を持つことになる。
2 ところが本件では、検察官が、最初から被告人を逮捕し取り調べをしたために、つい過剰な当事者意識を持ってしまい、脱税請負人を詐欺で処罰し、彼らに金を支払った者を被害者として処罰しなかった岡山地裁の裁判例(乙第一六号証)などを検討しながら、冷静に捜査の方針を反省する機会を、失ってしまったものといえよう。
過剰な当事者意識を持つと、被告人を何とか有罪にしたいという願望が、有罪に違いないという予断になってしまい、すべての証拠がみな有罪を指し示しているように見えてくる。
「鹿を追う者は山を見ず」という諺があるが、捜査官は、被告人が本来被害者の立場にあることを忘れてしまい、その言い分を、冷静に聞いてやる余裕をなくしてしまったものである。
3 しかるに本件では、さらに、冷静に被告人の訴えを聞いてやるべき原審裁判官達までが、その訴えるところをわかってやろうという努力をせず、検察官の型にはまった-型にはめこんだ-捜査結果をそのまま確認してしまったのである。
二 被告人が本件に巻き込まれた経緯-本件の真相
以下の論述を十分に理解して頂くために、まず、被告人側の視点から見た本件真相を述べておく方が便宜であろう。
被告人の公判供述(第二七回、第二八回、第四六回)、塚越治義の公判供述(第二八回)、同人の昭和六〇年八月一二日付検察官調書等を総合すると、本件の真相は次の通りである。
1 被告人は、亡父勝由死亡の直後に相続税を納めるために、藤沢市高倉字下原三〇番一の土地四一九平方メートルと三一番一の土地五九一平方メートルの二筆を売却すべく、地元の不動産業者有限会社三陽商事に依頼していた。
これらの土地は、昭和五八年一〇月一七日、代金二億三、七一六万円で売れた。
つまり、相続税の納期前に、税金を払って余りある金ができたのである。
被告人の亡父は、存命中から、将来予想される多額の相続税を納めるために、この二筆の土地を手放すのはやむを得ないことだと言い残しており、被告人も、これらの土地は無いものと、早くから観念していたのである。
2 ところが、同年五月末頃、塚越が被告人の家へやって来て、「俺のところは四国の人に頼んで税金を負けて貰った。本家と分家の仲なのだから、お前のところも四国の人に頼んだらどうか。税金が半分で済むぞ。」という趣旨のことを言って誘ったのである。この時、被告人は、「そんなことができるのかな」と一瞬考えたが、何しろ税法についての知識が皆無のために、その是非を判断することができず、結局、「本家」の塚越のような立派な人が、四か月も前にやって貰って、何も問題が起きていないのだから大丈夫なのだ、だからこそ、親切にいい方法を勧めてくれているのだと信じて、今迄のように同人に一切を任せてしまったのである。
小心者の被告人の性格からして、危ない橋を渡る話だと予め分かっておれば、どんなに税金が安くなる話であっても、絶対に、これに乗らなかったのである(第五二回公判における被告人の最終陳述参照)。
3 なお、被告人は、この前に、地元の農協から相続税の申告事務を扱わせてくれと申し込まれたのであるが、塚越の世話してくれた税理士に頼むからといって、農協を断っているのである(被告人八月一二日付検察官教書一二丁表。第二七回公判速記録九八丁表)。農民にとっては、農協が最も身近で、最も信頼できる存在であるにも拘わらず、これを断ったのである。塚越を絶対的に信用していた証拠である。
4 塚越は、被告人から一任を取り付ける前にもその後にも、被告人に対して詳しいことを一度も話していない。つまり、脱税の方法を取って税金を全く納めないことや、税額の半分を謝礼として支払うことなど、本件の重要点を全く説明していないのである。
このことは、塚越が、前記公判供述や検察官調書で明確に断言しているところであり、見逃すことの出来ない重要事実である。
被告人もまた、塚越を完全に信用していたので、いつものように一切を任せてしまい、大船に乗ったつもりで、一度も詳細を尋ねていない。
お人好しで融通のきかない被告人は、最初に、塚越から「税金を半分ぐらいに安くして貰える」と言われたことがいつまでも頭から抜けず、最後まで、庄司らに渡した多額の金員は税金の支払いに当てたものと信じていたのである。
5 なお、被告人は、相続税申告書を藤沢税務署へ提出した日である昭和五八年九月二二日、帰宅して相続税の申告書の控えをみたが、その記載内容を全く理解できなかった。
帰宅と同時に、塚越から、ただ単に「五、五〇〇万円を用意してくれ」といわれたので、これが自分の納付する税金であり、それに母や弟の納付する税金約五〇〇万円を合計すると、約六、〇〇〇万円になるので、これが最初に予定していた「税金の半分」だと思い込んでしまったのである。
6 被告人は、所得税の申告には立ち合っていない。事前に、税額と信じていた金三、八〇〇万円を渡して、他の原審相被告人らに一切をまかせてしまったのである。
三 自白調書には信用性がない
被告人の自白調書は、前述したように任意性がないばかりでなく、その信用性もない。
ここで、以下の論述の理解の便宜のために、被告人の自白の概要を述べておきたい。
(一) 自白調書の概要
〔相続税法違反について〕
私は、父勝由の遺産を相続したことにより、多額の相続税を正しく申告して納めねばならなかったのに、欲を出して塚越を通して庄司・小島・世俵・新開に正規にかかる相続税の脱税をお願いし、実際に脱税の手続をやって貰い、私にかかる相続税の額を〇として貰い、違法な申告をして脱税をした。
昭和五八年五月下旬頃、塚越が私の家へやって来て、「俺ん所は四国の人にやって貰って税金をまけて貰った。お前ん所もやるんだったら、俺に一切を任せればいい。税金の半分位はかかるがいいか」と言った。最後の「税金の半分位かかる」という言葉は、「税金の半分位でしてくれる」という言葉であったかも知れない。塚越は、税金の半分位かかると言って、税金を安くまけてもらうためには、被告の人に本来の税金額の半分位を払わないといけないと私に教えてくれた。
私は自分の所の相続税は一億円位にはなるだろうと判断してきており、その半分といえば五、〇〇〇万円位になる。その位払っても四国の人に頼もうかというのだから、税金が半分以上安くなるのかと思った。しかも、わざわざ税金を安くするため五、〇〇〇万円位を用意して渡さなければならないということは、半分よりもかなり安くしてくれるのかなとも思った。そうでないとしたら、わざわざ高い金を払ってまでも頼む必要はないと思えてならなかったからである。具体的な金額や方法までは聞いていない。
わざわざ遠くの四国の人に頼むというので、それ自体普通ではないと思えてならなかった。しかも、税金の半分位を渡さないとしてくれないというのだから普通の手続で申告をするものでは決してないということを強く感じた。報酬が税金の半分位はかかるというから、とてもまともなことをして申告するとは思えなかった。何らかの違法なことをして、本来の税金を大幅に安くしてしまうことから、高額の金を取るんだろうということも感じた。税金の半分位というのは、そういう違法なことをするための礼金であったわけで、それ以外には考えられなかった。
私は、税金の半分位の金を礼金として払っても、税金が安くなるということだったので、欲を出し、悪いことをするようになるとは感じつつも、塚越に「おねがいします、全部お任せしますから」と言って、四国の人に相続税の申告手続をして貰うことを頼んだ。
その時か、それから何日かした頃、塚越が「うちの税金のことなどしてくれている松原義貫さんを行かせるから、よく松原さんに説明して、書類を作って貰うだけ作って貰えばいい」と言った。「作って貰ったら、あとは四国の人の方でしてくれる」とも、塚越が言ったような記憶もある。私は、その話をきいて、松原は、私の相続税の違法な申立の書類を下書きする仕事をするんだなと思った。
その話から一週間か一〇日位して、松原が私方に来たので、「相続税のことをよろしくお願いします」と頼んだ。
八月二〇日頃、塚越に連れられて赤坂の東急ホテルへお願いに行った。そこで庄司に「お願いします」と行って、税金をできるだけ安くしてくれるようにという気持ちをこめてお願いした。
その際、塚越は庄司に、「矢部さんにも譲渡がありますから、それもおねがいします」と言ってくれ、私もそれに続いて「お願いします」と言っている。それは、三陽商事に依頼して、高倉字下原三〇番一、三一番一を売却する手配を既にしており、そのことで税金がかかり、それも塚越が庄司らに頼もうかと前々から言っていたことから、そのことも改めてお願いしたわけである。
庄司は、私と塚越が挨拶したあと、部屋にいた若い衆に「銀行に言って金をおろしてこい」と言って、金の手配をした。庄司が「会長にお願いする」「会長に頼むので金がいる」というように言っていたので、会長に税金を違法に安くすることを頼み、そのために金を立て替えて渡してくれるのだと思った。
その後、富士銀行湘南台支店で一億三、〇〇〇万円の借入申込をした。庄司らへの礼金一億円近く(相続税一億二、〇〇〇万円の半分六、〇〇〇万円位、譲渡所得の税金六~七、〇〇〇万円の半分の三千数百万円)と、三陽商事等に対する手数料や、私の方の使いたい金もあったので、一億三、〇〇〇万円位借りておけば間に合うだろうと考えた。
その後、塚越から相続人分のハンコを用意するよう連絡があった。書類と一緒に庄司らに届けるというのである。三文判を用意して書類と一緒に届けるという塚越の話をきいて、私の相続税の申告には、税金をうんと低くするため三文判を使って違法な方法を取るんだなあと確信した。
申告した九月二二日の前日頃、松原が書類を持って来たので、塚越と共に赤坂のホテルへ行き庄司と世俵に会った。世俵は税理士ということだったので、この人が松原の作った書類を下書きに使って、私の相続税を低くするため違法な方法をとって申告書を作るんだなと思った。
九月二二日に喫茶店「井筒」で世俵らに会った。世俵は、私が近くに立つと座ったまま茶封筒から少し厚みのある書類を取り出して広げて、一番上の書類を見せてくれた。それは相続税の申告書で母や私、弟慶三の名前が書いてあり印鑑も押してあった。世俵は、私の欄や慶三の欄の数字をさして「債務を入れてる」と言うようなことをいって、債務をこの書類に書いているという意味のことを言った。また、ごく簡単に、「これで税金を減らしている」と言い、私がその書面を見ると、私の所の税金は〇になっていた。そういう結論的な簡単な話しかなかったように記憶している。
世俵の説明をきいても、どういう理屈で私の税が〇になっているかは分からなかった。しかし、詳しい理屈は分からなかったものの、ない債務をくっ付けて税金を〇にする方法があり、それを実際にして〇にしてくれたんだということは分かった。それが世俵や四国の人の違法な方法だったのである。
それを見せられた時、本当に大丈夫なんだろうか、本当に通るんだろうかと思い胸がドキドキした。
申告書提出後、税務署の二階から一階へおりる時、世俵が「矢部さんこれ」と言って申告書の控えを渡してくれた。そしたら、小島が「これは金を貰ってないから今は渡せない」といった。まだ礼金を受け取っていないので、渡してくれないという意味のことを言ったので、私も、すぐに金を用意しなければならないと思った。
そのあと、「井筒」へ戻り、世俵から納付書を渡された。それを一枚一枚見て、合計五〇〇何万円の税金になり、私の税額は〇になり、一億円位の金額を納めないでも済むようになった。小島か庄司かはっきりしないが、その場にいた人達に、金はすぐ用意しますといって礼金を払うことを約束した。
この日、家に帰り、改めて納付書の金額を計算した。傍にいた妻に、「こんだけ一週間以内に納めればいいんだ。自分のは〇だよ」といって話した。妻は「そんなことができるんだね」と驚いたように言っていた。私は、世俵から簡単な説明を聞いていたので、「架空債務を作って〇にするやり方もあるのかねえ」といって妻に話した。そして、申告書の控えを見ながらどういう債務が架空に載っているのか見て、父勝由が庄司に連帯保証の債務を負っていて、その金額が二億九、八〇〇万円で、それを私が二億八、八〇二万九、一五一円負担し、慶三が九九七万八四九円負担することになっている旨書いてあると分かった。世俵が喫茶店で話していたのは、このような保証債務のことであったと詳しく知った。庄司・世俵・小島らは、その架空の債務を作って、私の相続税を〇にしてくれたのである。
申告をしにいった夕方、塚越が「礼金を渡すので五、五〇〇万円用意してくれ」と言って来た。それで、九月二四日に五、五〇〇万円を庄司に支払った。
このようにして、相続税を〇にして貰ったことの礼金として、五、五〇〇万円を支払った。本来の税金を納めるのに比べれば、半分以上も払わなくてよくなったので、当時は随分と得をしたと思った。悪いことを四国の人にして貰ったから、それ位の礼金というのもやむを得ないだろうと思っていた。
〔所得税法違反について〕
私は、昭和五八年一〇月一七日、私の相談した藤沢市高倉字下原三〇番一、三一番一の土地を、神奈川トヨタ自動車株式会社に二億三、七〇〇万円位で売却し、代金も年内に全額受け取っていたのに正しい申告をせず、塚越を通して庄司・世俵・新開・小島にお願いして譲渡の所得税を脱税した。
相続税を安くしてくれる四国の人に頼もうかという話があった時よりも僅かに遅れた時期頃、塚越から、土地を売ることでかかってくる税金についても安くして貰おうかという話があり、それで直ぐに応じた。
塚越が私方に来て、「お前ん所も譲渡があるんだからどうする。俺が頼んだ四国の人の所に頼んでみるか。相続も所得も一緒にやってみるか。所得の税金も半分位でやってくれる」と言った。私は、土地を売ると税金が七、〇〇〇万円位もかかると判断していたので、そんなに納めるのが惜しく少なければ助かると思い、塚越に「お願いします」と頼んだ。塚越は俺に任せておけと言ってくれた。
相続税の場合と同様に、四国の人に税の半分位を礼金として渡し、税金をうんと少なくして貰おうと思った。
前述したように、八月二〇日頃、赤坂のホテルへ塚越と行った時、庄司に所得税のことを頼んだ。
所得税の確定申告は、毎年三月一五日までにするものであることは分かっていた。神奈川トヨタに土地を二億三、七〇〇万円位で売ることができていたから、この所得に関する申告も、昭和五九年三月一五日までにはしなければならないことは、よく分かっていた。
でも、塚越を通して庄司らに税金をうんと安くして貰うことを頼んで任せていたので、申告の書類をその四国の人が作ってくれると考えて任せていた。
前述したように、相続税の申告で私の税額が〇になった。私はこの結果を知って、私の土地を売ったことによりかかる七、〇〇〇万円位から八、〇〇〇万円位の税金も、同じような違法な方法で〇に近いものにしてくれるんじゃないかと思った。
相続税の場合と同じく、架空の債務を作ってするんだろうとも感じた。
所得税の脱税の謝礼は、申告よりも前の昭和五八年一〇月頃に支払い、金額は三、八〇〇万円である。塚越から三、八〇〇万円用意するよう連絡があった。その金額をきいただけで、それが所得税の方の礼金だと判った。相続税の申告を終えた頃、塚越がメモ紙に税金の計算をしてくれて、その礼金の額も出してくれて、その額が三、七〇〇万円に近い金額だった。
三、八〇〇万円を持って、塚越とニューオータニへ行き、庄司と小島に、それぞれ「お願いします」といって、所得税の脱税を改めてお願いし、礼金を渡した。三、八〇〇万円を前金で支払ったのだから、間違いなく私が沢山の税金を払わなくて済むようにしてくれるはずだと思った。
税金のことは、相続税の場合と同じように、世俵やその事務員がやるということも分かっていた。
その後、新開という世俵の事務員に、所得などに関する書類を、脱税のための申告に必要だということで渡した。
後で、塚越からだったと思うが、書類を渡され、四国の人が手配してくれた税を納めた。九〇万円にもなっていない金額だった。私が予想していたような違法な方法を取られて脱税できたのである。
予想していたように、四国の人達は、父勝由を庄司・借主湯浅幸雄の二億二、〇〇〇万円の借金について連帯保証人にし、私が庄司に二億二、〇〇〇万円支払ったという書類を勝手に作って、相続税の場合と同じように私の所得税を脱税させてくれたのである。
欲を出してしまい本当に申し訳ないことをしてしまった。
(二) 捜査官の作成する供述調書の問題点
供述調書は、語られた言葉のとおりを記載していたものではない。それは取調べ官の質問とこれに対する供述者の答え(時には態度)を、供述者が話した物語として、取調べ官の主観で要約したものである。極端に言えば、供述調書は、その作成者がある出来事について得られた解釈を語る、作文に過ぎない。「供述者が述べた事実とは程遠い事実が、供述録取書に記載される可能性が、決して少なくはない」ということ、「捜査官のなす調書記載は-意識的・無意識的に-特定人を犯罪者に導くように、各人の供述が、まとめ上げられていくこと」「特にその重要な部分については、異なった供述が記載されるおそれがないとはいえない」こと、読聞けがあっても、「重要な記載の誤りも、看過してしまうのが現実であろう」こと、「増減変更の申立てをなすことは、普通人にとっては相当の勇気を要すること」、「たとえ増減変更の申立をなしたとしても、それがそのまま素直に記載されることは-少なくとも捜査官を納得させないかぎり-実際上かなり困難」なことなど(井戸田侃教授)は、すでに原審で指摘した通りである。
署名捺印があるというだけで、内容が確認されたということはできないのである。
これを自白調書に即して言えば、自白調書は自供通りではないし、時には自供でない場合すらある、ということである。
以上は、通常人の場合に関する。
前述のように、通常人でない被告人の場合には、問題点が倍加するのである。
(三) 裁判官の仕事は自白から始まる
裁判官の仕事が、自白-正確には自白調書-から始まるべきことについては原審弁論要旨で詳述した。
しかし、日本の裁判の現実では、必ずしもそうではないようである。警察官でも捜査官でも、およそ取調官が作る供述調書で、作文でないものなど日本にはないのに、一旦自白調書が作られると、その一言一句が、被疑者本人の「供述」として有罪の証拠になるのである。自分で使ったわけではなく、取調官が選んで書いた一語が、運命を分けることになるのである。
原審もそうであった。しかし、それでは困るのである。
当審では、被告人の自白調書の成立過程の分析と、供述内容の解析と理解から、そのお仕事を始めていただきたい。
それで初めて、本件被告事件について、裁判が始まるというべきである。
(四) 罪の意識がない「自白」
被告人の「自白」が、一般に用いられる、自白の概念にあてはまるのか否か、大いに疑問である。
1 被告人は、義務教育さえ満足に受けられず、また、五〇年の生涯の全部を単純な肉体労働で過ごしてきたために、知的能力ないし理解力が、著しく欠けていること、性格が極めておとなしく、他人と意見が異なる場合でも、これを口に出して表明できないほど、消極的な性格であること等については、すでに詳しく述べた。
被告人は、検察官は正しい人であり、自分は何も悪いことをしていないのだから、たとえ自分の言わないことを書かれた調書ができたとしても、それによって起訴されたり、まして裁判で有罪になるおそれがあるなどとは、夢にも思っていなかったのである(第二八回公判速記録一八丁裏~一九丁表)。
2 自白とは、自己の犯罪事実の存在を肯定する供述である、と定義される。
そうだとすれば、自分のやったことが罪になるなどとは夢にも思わず、安易な気持ちで、捜査官に内容を一任してしまった(同一九丁表、裏)という被告人の「供述」は、果たして自白と言えるであろうか。
定義に当てはまらないことは、明らかである。
(五) 秘密の暴露がない
判例によると、「秘密の暴露」に当たるものがない自白は、信用性がないとされている。
そこで、次に、被告人の「自白」を記載した昭和六〇年八月一二日付検察官調書と同月一三日付検察官調書に、果たして「秘密の暴露」が記載されているのか否かを、検討してみる。
(「秘密の暴露」の概念)
1 最高裁判所の判例によると、「秘密の暴露」とは、「あらかじめ、捜査官の知りえなかった事項で、捜査の結果客観的事実であると確認されたもの」と定義されている(最高一小・昭和五七年一月二八日判決、刑集三六・一・一三五)。
2 これによると、二つの要件が必要である。すなわち
<1> 供述内容の秘密性 と
<2> 供述内容の確認 である。
(詳細は、守屋克彦「いわゆる秘密の暴露について」判例評論三一四号一七一頁、同三一五号一七四頁、同三一六号一七五頁参照)
(塚越から勧誘された時点で)
1 被告人に対する公訴事実の中心は、何といっても、塚越から勧誘された時に被告人が、「脱税工作をして、相続税の申告をするのだと判断し……塚越に一切をまかせて、脱税をしようと考え」、塚越から庄司らへの脱税工作を依頼した、とされる点であろう。
この点に関する被告人の供述は、八月一二日付検察官調書の第五項ないし第六項に記載されている。
2 その記載内容を検討すれば、何か「秘密の暴露」に当たるものが発見できるであろうか。
詳細に検討しても、何ひとつ発見できない。
3 とすれば、本件の中心不文に関する被告人の自白に、信用性が欠けていることが明らかである。
これは、たいへん重要なことである。
なぜなら、このことだけでも被告人の無罪が明らかである、と言うことができるからである。
(庄司らに依頼した時点で)
1 検察官は、塚越と被告人が、昭和五九年八月一九日、庄司らに面会して、相続税と所得税の申告の代理を依頼した際、庄司が、小島に払う礼金を用意するため、若い者に対して、「銀行へ行ってこい」と命じていたこと(八月一二日付検察官調書第八項)が「秘密の暴露」にあたると主張するようである。
2 ところで、被告人は、庄司らに対し、税務申告の代理を依頼したこと自体は、認めている。
しかし、被告人の右供述には、庄司らに対して、脱税工作の依頼をした趣旨の自白は含まれていない。
したがって、庄司の右行為は、公訴事実とは無関係である(守屋・全掲論文三一五号一七七頁参照)。
3 さらに、このことが、その後の捜査によって、客観的事実に合致するものと確認されていない。
したがって、いずれにしても、「秘密の暴露」には当たらない。
(相続税申告書の提出の時点で)
1 九月二二日、喫茶店「井筒」における出来事の供述(右同調書第一三項)を検討してみても、「秘密の暴露」と思われるようなものは、何ひとつない。
逆に、被告人が老眼鏡を持参しなかったために、申告書の数字が読めなかったというような当然記載すべき重要な事実(秘密)を書き落としている。
2 したがって、この供述には信用性がない。
(申告書提出後に)
1 相続税申告書を提出した後、小島が、「金を貰っていないから」といって被告人の手から、申告書の控えを取り上げたという供述がある(八月一二日付検察官調書第一四項)。
また、その後被告人が帰宅し、妻と納付書や申告書の控えを見たという供述がある(右同調書同項)。これらの供述は、被告人の犯行とされるものが、すべて終了した後のことに関する供述であって、公訴事実とは関係がない。
さらに、捜査官は、これらの供述が、客観的事実に合致するかどうかの確認を行なっていない(被告人は、第二七回公判-速記録五二丁以下-で、帰宅後の右行為を否認している)。
したがって、「秘密の暴露」には当たらない。
2 同年一二月二一日から二三日にかけて、被告人の預金を、妻の弟・四郎名義の預金口座に移したという供述がある(八月一五日付検察官調書)。
これは被告人の行為ではなく、その妻が、塚越に指示されて、事情が分からない儘に行なったものである(矢部マツ子昭和六〇年八月一七日付検察官調書第六項)。
しかも、その時期が、十二月二一日以降とのことであるから、相続税に関する全ての犯行が終了した後であり、かつ所得税に関する被告人の犯行とされるものが終了してしまった後である。
したがって、これも公訴事実とは無関係である。
(六) 自白の時期が問題
裁判例によると、捜査中のどのような時期に自白をしたかということも、自白の信用性を判断する上で重要だとされている。
そこで、次に、この点を検討する。
1 被告人が逮捕されたのは、昭和六〇年七月三〇日である。そして、最初の自白調書ができたのは八月一二日である。この間に約二週間ほどある。この二週間も、連日連夜取調べが続いたという(第二七回公判速記録九四丁表~九五丁裏)。
毎日取調べをしながら、この間、調書を作らなかったのはなぜか。
自白の変転動揺を隠すため、と思われる。
2 八月一九日付調書の第一項をごらん頂きたい。本件の重要な争点になっている「礼金」か「税金」かの問題について、被告人は、捜査の初期には、原審公判廷における供述と同じく、「税金」だと述べていた。
それが、捜査官の巧みな誘導と強制によって、「礼金」と「供述」した自白調書になってしまったのである。「自白」の変転動揺が推測される。
3 被告人担当の捜査官は、先行する他の被告人らの自白を念頭におきながら机を叩いたり(第二七回公判速記録六〇丁裏)、いつまで勾留が続くか分からないと脅迫したり(第二八回公判速記録一八丁表)、連日連夜にわたる理詰めの追及によって、被告人が当初素直に述べていたことを曲げながら、意の儘に自白調書を作ったであろうことは明らかである。
4 このような自白が、信用性に欠けることは明白であろう。
(七) 客観的事実との矛盾
客観的事実と矛盾する自白にも信用性がない。以下にその点を検討する。
(税金か礼金か)
1 被告人が、塚越から誘われた時の状況であるが、塚越は、同人の八月一二日付の調書第四項において、「自分の税金が半分位で済んだ」といったのみで、被告人の場合がどうなるかということは、一言も言っていないのであるそして、
「…………話したのはこの程度で、脱税だとか、税金は一銭も払わないで、半分は先方への謝礼だなどということは、言いませんでした。」
「なお、一夫さんには、今言った以上のことは、その後も、説明していません。」と明確に述べている。
2 ところが、これでは、被告人を犯人に仕立てることができないので、捜査官は八月一二日付調書の第五項で、被告人に、
「塚越さんは……税金の半分位はかかるがいいかと言いました」、などと塚越が全然口にしていないことを、聞いたと言わせ、そして
この言葉は、税金が、通常の手続をした場合の半分位になる、という意味ではなく、
「塚越さんは…………税金を安くまけてもらうためには、四国の人に、本来の税金の半分位を払わないといけない、と私に教えてくれたのです。」
と勝手な解釈を押しつけ(一〇丁裏)
次に、このように多額の謝礼を払うのだから
「何らかの違法なことをして、本来の税金を大幅に安くしてしまう」ものと、三段論法式に、捜査官の独断を発展させている。
3 この調書の特徴は、被告人と塚越の間に起きた客観的な事実を述べた部分が極めて少なく、それをどう解釈するかについて(捜査官の)見解を長々と述べていることである。
つまり、事実によっては、被告人を処罰することができないので、理屈によって処罰しようとする捜査官の意図が、はっきりと読み取れるのである。
このようなトリックに引っかかって、事実を見失ってはならないことは言うまでもない。
4 塚越は、「矢部に対して謝礼のことを一言もいっていない」と終始一貫して供述している(第三〇回公判速記録六一丁表)。被告人も、捜査の初期(八月一九日付検察官調書第一項)及び公判廷(第二七回公判速記録一五丁表、六〇丁表、七四丁表等)では、これと同じことを言っている。
したがって、これが客観的な事実だと言わなければならない。
塚越が口にしていないことを、聞いたという被告人の供述は、客観的事実と矛盾するものとして信頼性がない。
5 では、どうしてこのような調書ができたのであろうか。
被告人の性格が原因である。すでに述べたように、被告人は供述調書の内容までも、捜査官に一任してしまったために、塚越が言わないことまで、聞いたように、書かれてしまったのである。
多額の謝礼を払うのは、「違法なことを」するからに違いない、と推測したりすることは、被告人の知的能力の限界を越える供述であり、押し付けられたものであることが明白である。
6 それにしても、被告人を有罪とするためには大変重要な、塚越が被告人を勧誘した場面について、両名の供述記載が大きく食い違ったまま放置されているのはなぜであろうか。
元検察官の小林証人(塚越担当)は、毎日のように捜査会議を開かれ、各被疑者の供述を検討しながら捜査を進めた、と証言しているのにである。
これは、前述の井戸田教授の言葉を引用すれば、塚越は、しっかりと事実を述べて「捜査官を納得させ」たのに対し、頭が悪くて気の弱い被告人は、捜査官の言いなりになってしまったからである。
7 両名の調書の関係部分を、比較対照してみていただきたい。
塚越の調書(八月一二日付第四項)は僅か四頁半で済んでいるのに、被告人の調書(八月一二日付第五項)は一六頁にもわたって、同じようなことがくり返し書かれている。
よく言われるように、真実は単純なものである。被告人の調書のように、同じようなことを、くり返しくり返し何度も書かねばならないのは、真実に反することを、もっともらしくみせようと作為するからに他ならない。
8 以上要するに、「税金か」「礼金か」の問題についての被告人の調書は、客観的な事実と矛盾することが明白である。
(松原に依頼した時期と依頼の範囲)
1 松原に依頼した時期、及び依頼した事務の範囲、についての検事調書の記載(八月一二日付第六項)も、客観的事実に反する。
2 被告人は非常に気の小さい真面目な男である。相続が開始すると、相続税を納めることばかりを気にしていた。
そこで、すぐやったことは
<1> 納税資金を作るために、土地の売却を不動産業者に依頼すること(第二七回公判速記録九七丁表)
<2> 遺産の分割と相続税の申告書作成を、松原義貫に依頼すること(第二八回公判速記録二丁表・裏)
<3> 土地の売却が後れても納税可能なように、銀行へ融資の申込みをすること(同一丁表・裏)
の三つであった。
被告人の自白調書をみると、このうちの土地の売却依頼だけを、すぐにやったとされ、他の二つはわざと時期を遅らせている。
しかし、これは事実に反するのみならず、理屈に合わない。
3 というのは、被告人の亡父は、土地の散逸を防ぐために全部の不動産を被告人が相続するように遺言していたが、他方で、被告人の弟達は土地の分割を要求しており、遺産分割協議に相当の期間を要することが予め分かっていたからである。(被告人七月三〇日付検察官調書)。
六ヶ月という短期間に納税を完了するためには、遺産の分割と相続税申告の手続きを急ぐ必要があった。
そこで、五月初めに、松原に対し相続税申告事務全般を依頼したのである(第二八回公判速記録二丁表・三丁表)。
4 被告人の自白調書では、松原に依頼したのは、四国の人の話がでた後であり、かつ違法な申告書の下書きを作って貰うためだったと述べている(八月一二日付調書一五丁~一七丁)。
これによると、松原に依頼した時期と依頼した事務の範囲が、密接不可欠分である。つまり、一方が嘘であれば、他方も嘘であることが明らかになる、という関係に立っている。
そこで、依頼した事務の範囲を検討することによって、両者とも、真実か否かを明らかにしたい。
5 さて、単に申告書の下書きを依頼しただけであれば、松原が、遺産分割協議の席へ毎回毎回出席するものであろうか(同二〇丁表)。
また、四国の人では地元の様子が分からないから、地元にいて下書きする人が必要だったというのなら(同一六丁裏)、では所得税申告書作成の時、なぜ松原に下書きを依頼しなかったのか、という疑問がでてくる。
(所得税申告の時は、新開が、遠い四国から地元へ出張してきて、いろいろ調査したことが歴然としている-被告人八月一三日付検察官調書三三丁~三六丁)。
被告人は公判廷で、松原が、相続税申告手続きを最後迄やってくれるものと思っていた、と述べている。第二七回公判速記録一八丁)。
その後、検察官に提出してもらった松原作成の報酬金の領収書によると、依頼事務の範囲が「相続税申告一切」となっており、被告人の公判廷での供述が正しかったことが明らかになった。
これによって、検察官調書の記載は、松原に依頼した時期も、依頼した事務の範囲も、事実に反することが明白となった(当審で、松原義貫の証人尋問によりさらに明確にしたい)。
6 松原に、単に下書きだけを頼んだのであれば、一〇〇万円もの多額の報酬を支払う筈がない(同速記録四六丁)。報酬の額からも、相続税申告事務全部を依頼したことが明らかである。
捜査官は、被告人に、税理士の報酬は「せいぜい何十万円位だろうということは常識的にも判ります」と言わせている(八月一二日付検察官調書一三丁)。しかし、被告人は、この前に、松原に対して一〇〇万円の報酬を支払済みだったのである。
それなのに、被告人が、「任意に」このように述べる筈がない。右供述部分を含む右検察官調書第五項が、捜査官に強制されたものであることは、この一事によっても明らかである。
(銀行からの借入)
1 銀行から、一億三千万円借り入れたことに関する検事調書の記載も、客観的事実に反する。
2 銀行に対し、「土地の売却が遅れるような場合は、相続税の納入に必要な金額を貸してほしい」と、五月初めに予約しておいたことは、先程述べた通りである。このため銀行から香典が届いたという(この点も当審で立証したい)。
そして、昭和五八年八月、実際に借り入れた額が一億三千万円になったのは、松原から相続税の額が
「おおざっぱに言って、一億二、〇〇〇~三、〇〇〇万円になりますね」と言われたからである(八月一二日付検察官調書一九丁表)。
3 ところが、検察官調書では
「相続税の関係の礼金は六、〇〇〇万円位………譲渡所得税の………礼金は………三千数百万円………それに、私の方で使いたい金などもあったので一億三、〇〇〇万円位借りとけば、間に合うだろうと考えたわけです。」
と述べている(同三〇丁裏~三一丁裏)。
4 では、「私の方で使いたい金」として計算できる三千四、五百万円は、何のため必要だったというのか、調書のどこをみても、その説明が全くない。
三千四、五百万円というのは、十数年務めても日給五、〇〇〇円しか貰えない被告人にとっては、気の遠くなるような大金である。
こんな大金を何に使う予定だったのか、容易に説明できた筈である。ところが、捜査官はこれを聞き出していない。
多くの裁判例によれば、「真犯人であれば、容易に説明できるような事実について、説明文が欠落している自白は信用性がない」とされている。
5 なお、三陽商事等に対する手数料という記載もあるが、それは売買の際、売買代金から支払えば足りることであり、予め銀行から借りる必要はない。この記載も、検察官調書が検察官の「作文」である事実を裏付けている。
(三文判の使用)
1 相続税申告書に、市販の認め印(いわゆる三文判)を使ったから、違法に申告するものと確信したという自白は、知的能力が劣り社会的経験に欠けている被告人を、錯誤に陥れて述べさせたもので信用できない。
2 被告人の八月一二日付検察官調書の三五丁裏に、次のような供述がある。
「松原さんには、印鑑登録証明書を渡していて、分割協議書にもその実印を使っており、正当な申告をするのなら、弟・妹らに言ってその実印を使うというのが本来の姿だと思いますが、そういうことをせずに三文判を使うということは、普通のことではない怪しいことをする必要があるからだと、私にもすぐ感じられたのです。」
3 遺産分割協議書に、実印を押捺し印鑑証明書を添付するのは、不動産の名義を変更する登記申請の際、不動産登記法施行細則によって、それらのことが要求されるからである。
ところが、税法にはこのような規定がないので、税金の申告書にどんな印鑑を使おうと全く自由である。恐らく、税金の申告に実印を使用する人は、ごく少数の筈である。
4 こんなことは、一度でも税務申告をやった人間なら分かっていることである。ところが被告人は、自分で申告書を一度も書いたことがないのと、知的能力に欠けるため、捜査検事のトリックにひっかかり、税務申告には「実印を使うというのが本来の姿だ」などと、客観的事実に反することを信じてしまい、この錯誤を突かれて、とんでもない「自白」をしたのである。
5 というよりも、給料所得者であるため確定申告をした経験がない若い捜査官は、税務申告にどんな印鑑を使用するのが「本来の姿」であるのかを知らないために、このように非常識なことを書いたものと思われる。社会経験の不足が、検察官をして、このような「非常識な作文」を書かせたのである。
(八) 動機があるのか
1 人間の行動で、動機のないものはない。まして、社会の規範を破る犯罪行為ともなると、強烈な動機なしに行なわれることはあり得ない。
被告人が、検察官主張のような、莫大な金額の脱税を決意したとすれば、その動機は何だったのであろうか。
2 被告人が塚越に勧誘されて、脱税を決意した経緯を「自白」した、八月十二日付調書第五項をみると
「税金の半分位の金を礼金として払っても安くなるということだったので、欲を出し、悪いことをするようになるとは感じつつも、塚越さんにお願いし」た、というのである(一四丁表)。
3 しかし、被告人は、「塚越さんからは、どのくらい安くなるかまでは、具体的に、金額では聞かされておら」なかったと述べている(同一一丁裏)。
そして、自分では
「そのぐらい払っても、四国の人に頼もうというのですから、税金が半分以上安くなるのかなあ、と思いました。」(同一一丁表)
と言うのである。
四国の人に「本来の税金額の半分位」の報酬を支払い、それで、税金が半分そこそこしか安くならないのでは、何のために脱税の危険を犯すのか、全く分からない。これは馬鹿げた話である。
このような馬鹿げた結論になるのは、捜査官が、犯罪の動機がない被告人に対して、無理矢理に犯罪の動機を押しつけようとしたからに他ならない。
4 被告人の妹矢地トキ子は、「兄一夫はおとなしく、他人と話をするのさえ不得手な人ですから、なぜこんな大胆なことをしたのかと、びっくりしており」と述べ(同人の検察官調書第二項)、弟の矢部恒夫は、「一夫兄が…………こんな大胆なことをしたとは考えられません。」と述べている(同人の検察官調書第一一項)。
他人の前で話をすることもできない小心者の被告人が、大変な危険を覚悟して、莫大な金額の脱税を決意したとは、到底考えられない。
5 ところで、八月一二日付検察官調書第三項(二丁表以下)を、ごらんいただきたい。
被告人の亡父は、生前から相続税のことを心配し、「俺が死んだら、ここを売って相続税を払えよ」と指示し(四丁裏)、正直者の被告人は、亡父の死後二週間で、早くも、三陽商事に土地の売却方を依頼している。
しかも、その土地が「狭いと………売れにくい」ので(六丁表)、相続税を納めるためには一筆の土地を売るだけで十分なのに、「下原三〇番一」と「三一番一」の二筆の土地を売ることにしたのである(被告人のお人好したる面目が、如実に表われている)。
つまり、被告人は、「親から沢山の相続をしたので、それにかかる税金はやむを得ない」と思っており(第二八回公判速記録九丁裏)、また、税金がいくらかということについて一般の人のように強い関心がなかったのである(第二七回公判速記録七六丁表)。
これが単なる弁解でないことは、勾留中にもかかわらず、最後の財産ともいうべき湘南台五丁目一四番一の土地一、八一〇・四三平方メートルを売却して、延滞税・重加算税などを完納している事実によって、明らかである(弁第八二号証登記簿謄本。なお詳細は当審で立証する)。
6 以上の検討によって、被告人には、大変な危険を犯して、こんなに多額の脱税を行なう動機がなかったことが明白である。
四 被告人の原審公判廷の供述について
(一) 公判廷での供述の優越性
1 検察官は、昭和六一年一一月一九日の第二七回公判廷において、被告人を約五時間(午前二時間、午後三時間)の長時間にわたり尋問した。弁護人も、右同日及び同年一二月一〇日の第二八回公判廷において、被告人を合計約二時間三〇分にわたり尋問した。
そして、これらの尋問の結果を、一言半句も漏らさず正確に記載した速記録が公判記録の中に存在している。
2 公判廷での供述は、被告人の知的能力・性格・供述態度・音声の微妙なニュアンス・質問されてから回答する迄の時間はいう迄もなく、尋問する者の人柄・質問の仕方・事件に対する予備知識・嫌疑の強弱・先入観の有無や、その場の微妙な雰囲気など迄も、裁判所が直接見聞できるので、最も優れた最も信用できる証拠である。
3 また、公判廷での供述の速記録は、供述を客観的に性格に記載している点において、捜査官が密室において第三者の立会なしに作成した供述調書よりも、遙かに優れている。
(二) 公判での課題
「被告人の捜査過程における自白は、その自白を否定する彼の公判廷の供述と全く等価値であり、裁判の実践においては、捜査過程における自白を補強するため公判廷に顕出された証拠が取り調べられるのではなく、逆に公判廷の供述に副って捜査過程で得られた証拠が批判検証されるべきである、ということである。
すなわち、被告人の公判廷の供述を真実を語るものと仮定して考え、彼の供述が、その余の証拠と比照検討した場合、整合性を保ちうるかどうかの検証作業こそが刑事裁判の課題だと言うことである。」(谷口正孝前最高裁判事)
(三) 第二七回公判供述について
1 当日午前中の法廷で、被告人は、検察官から冒頭に「今、この裁判を受けていることについてどう思っていますか」と質問され、「悪いことをしたから、こういう裁判を受けている」と答えている。
言うまでもないことであるが、これは罪を認めた趣旨ではない。そのことは、それ以後の被告人の供述で明らかである。被告人は検察官や裁判官に対する畏れや、裁判所での尋問ということで萎縮してしまって、思わずこのように答えてしまったのである。
被告人としては、結果的には脱税をしているし、皆さんにこのようにご迷惑をかけて申し訳ないという意思表示を、このような拙劣なやり方で表現したのである(第二八回公判速記録四丁表・裏)。
2 また、塚越から「おれのところも半分ぐらいで済んだから」と言われたことの意味について、「税金の半分」と言ったり、「税金が半分」と言ったりしているが(速記録八丁表)、これは「の」と「が」の区別が良く分からないまま、「お礼が税金の半分」と言わせようとする検察官の誘導に乗っているものであることは、被告人の供述を、先入観なしに、注意深く読めば分かる筈である。
被告人は、塚越から「税金を安くしてくれられる人」に依頼したらどうかと誘われ(第二七回公判速記録五丁表)、「おれのところも半分ぐらいで済んだから」とだけ説明されて(同速記録五丁裏、六丁裏)、税金が通常の場合の半分になると理解したと、明確に述べているのである(同速記録八丁表、一〇丁裏)。
それなのに、検察官は「そういう言葉だとすれば、税金が半分という理解はおかしい」(同速記録九丁裏)「お礼が税金の半分ぐらいという意味だった」に違いない、と追求するので(同速記録六丁表)、「の」と「が」の区別がつかない被告人は「頭がボーっとして」(同速記録四八丁表)混乱してしまうのである。被告人はごく単純な男で、普通人のように、ものを考えたりしない。
莫大な額の相続税の納入を自分でやれるわけがないので、この世の中で最も信頼する塚越が、いい方法があるといえば、何も聞かずに同人に任せてしまったのである(同速記録七丁表、一二丁表)。
それなのに検察官は、検事調書のとおりにいわせようと執拗に追求し、しまいには裁判長までが「大金を出すんですから、何か考えがあって頼んだわけでしょう」(同速記録一二丁表・裏)などと、検察官を上廻るような追求をするので、被告人はあがってしまい、脂汗を出しながら「…………」と立往生してしまったのである。
この問答のところで、時に遺憾に思うことは、裁判長の問に対して被告人が「自分じゃできないことで、塚越さんにお願いしました」(同速記録七丁表)と明確に答えているのに、裁判長が、くり返しくり返し「どういう考えで頼んだんですか、何のために頼んだんですか。」「大金を出すんですから、何か考えがあって頼んだわけでしょう。」「何も考えなしに金を出すということはないでしょう」(同速記録一二丁表・裏)と、有罪の先入観に基づいて追求していることである。
3 また、申告額がゼロになっているのを見たとか、それは債務を付けてあるからと思ったとかとも供述しているが、それらは、「自分はこういうふうなもんで人前では話しできない」(速記録二二丁裏)という被告人が、「頭がもうろうとしていて何しゃべったんだかわからなかった」(同四九丁表)という状態で、自白調書にかかれたことを機械的に喋っただけのことである。
取調官の暗示にかかっているのである。つまり、取調官から、裁判所でも自白調書通りに供述しなければならない、と思い込まされているのである。
これを、被告人の自覚的な心理として説明すると、次のようになる。
「多くの被告人や証人は、一旦述べて(あるいは述べさせられて)署名したものだから、訂正すると、検察官の心証を害したり偽証に問われないか、と心配する。
卑屈なほど、検察官を恐れているのである。善良な人ほど、その傾向が強い」「出射義夫「刑事裁判の現状と将来-検察と弁護の角度から」判例タイムス二〇一号一九〇頁〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕)
4 午前中はあがってしまって何がなんだか分からなかった被告人も、午後からは少し冷静さを取り戻したようだ。
検察官は、「自分の欄は、申告書を見た時は、ゼロとも何とも書いてなかったんです。」と被告人に言われ、「昼休みが終わって、そんなに答えが変わるんですか。」となじっている(速記録四八丁表)。
しかし、これは検察官が間違っているのである。申告書を見れば明白なように、被告人の欄には不動文字で「〇〇」と印刷してはあるが、他に何も記入しないままで残っており、誰かがゼロを記入したという形跡はないのである。
昼休みに、妻マツ子から申告書の写しを見せられ、検察官の午前中の尋問が誤導ではないかと指摘されたので、被告人は、午後は見たままの事実を正直に述べたに過ぎないのである(当審で立証する)。
5 それにしても、被告人は、未だ公判廷で全部の真実を語ることができないでいる。法廷にいる塚越に遠慮して、同人から「俺にも一寸くれよ」と言われて、同人の口座に三、〇〇〇万円入れてやったこと(八月一五日付=乙第六七号検事調書第五項)を供述し得ないのである(当審で立証する)。塚越の法廷での供述に合わせて、貸してくれと言われて貸したといったのである(第二七回公判速記録八二丁表・裏)。
6 検察官から、所得税の申告書の控えを見なかったという点を追及されて被告人が、「皆さんはそうですけれども、自分は本当にそういうことに関心がないんです、馬鹿で」と答えると、検察官が「全然馬鹿だと思いませんけれどもね」と言っているところがある(第二七回公判七五丁表~七六丁表)。
検察官は本当にそう思っていたようである。そして裁判官も。
しかし、冒頭手続で公訴事実を否認しておりながら、被告人質問の最初に、検察官から、「今、この裁判を受けていることについてどう思っていますか」と聞かれて、「悪いことをしたから、こういう裁判を受けている」と答えるような被告人は、馬鹿にきまっている。
この見方の違いが本件の帰すうを決したのである。被告人が馬鹿か馬鹿でないか、鑑定をまって慎重に決めたうえで、被告人の供述の評価をしていただきたい。
五 相続税法違反の故意について(原判示第二の一)
(一) 検察官の主張
1 起訴状によると、被告人は「相続税につき、架空の保証債務を計上して課税価格を減少させる方法により……相続税を免れようと企て、共謀の上、昭和五八年九月二二日、藤沢税務署所長に対し、……虚偽の相続税申告書を提出し」た、となっている。
これでは、抽象的でよく分からないので、具体的に何が被告人の犯行とされているのかを、検察官の冒頭陳述によって検討すると、その要点は
「被告人は、昭和五八年五月下旬頃、塚越から、『俺は四国の人にやってもらって税金をまけてもらった。お前もやるんだったら俺に一切まかせればいい。税金の半分くらいはかかるがいいか。』と話され、脱税工作をして相続税の申告をするのだと判断し…………塚越に一切をまかせて脱税しようと考え『お願いします。全部おまかせしますから』といって、塚越から小島らへの脱税工作の依頼を申入れ…」
さらに
「被告人は、塚越から松原を紹介され、同人に対し相続税申告書の作成を依頼して、小島らに脱税工作をして貰うべく準備を整え……同年八月一九日頃、塚越とともに赤坂東急ホテルで小島・庄司と逢い、正式に脱税工作を依頼した。」
そして
「世俵・新開は、小島の指示で、架空債務を計上して、税額が零の、内容虚偽の申告書を作成し…」
「小島は、昭和五八年九月二二日、この申告書を藤沢税務署へ提出して脱税した。」
となっている。
2 これによると、被告人が、塚越から誘われて、「脱税工作をして相続税の申告をするのだと判断し……塚越に一切を任せて脱税しようと考え」て、塚越及び小島・庄司に、相続税の脱税工作を依頼したことが、被告人のやった犯罪行為のすべてとされている。
3 ここで注意すべきことは、昭和五八年九月二二日、喫茶店「井筒」で、世俵が被告人に対して申告書を見せて説明を試みたことにより、被告人が脱税工作を認識した、とされているのではない点である。
(二) 検察官の主張の誤り(補強証拠の検討)
憲法第三八条第三項は、本人の自白以外に、証拠がなければ有罪とされないとしているが、判例は、故意や共謀については、例外を認めている。
しかし、他方において、最高裁判所の判例は、被告人を犯行に結び付ける唯一の直接証拠が自白である場合、その自白が、重要な点において、客観的証拠によって裏付けられていなければならない、としている(最高裁一小、昭五七・一・二八判決、昭和五五年 六七七号事件、判例時報一〇二九号二七頁)。
本件は、まさに、「被告人を犯行に結び付ける唯一の直接証拠が、自白である場合」に当たる。つまり、被告人を、いわゆる脱税工作に結び付ける唯一の直接証拠は、被告人の検察官に対する自白のみである。
他に、被告人が脱税工作を認識しながら、他の原審相被告人らに対して、税務申告の代理を依頼したことを示す証拠がない。
そこで、まず、被告人の供述以外に、検察官の主張を裏付ける客観的証拠があるか否かを、検討する。
(塚越から勧誘された時点での被告人の認識)
1 検察官の右主張によると、被告人は、昭和五八年五月下旬、塚越から誘われた時、「脱税工作をして相続税の申告をする」ことが、既に分かっていたというのである。
ところが、塚越は、被告人を勧誘した際の状況について、第三〇回公判の法廷で
「自分の相続税が安くなったのは、合法的な節税によったものであると確信していた。したがって、被告人の妻に話した際も、親切心から、節税の方法があるとすすめたのであって、もし、脱税だということが予め分かっていたら、絶対にすすめなかった。」という趣旨を述べている(同速記録一〇丁表~一一丁裏)。
塚越が節税だと信じており、かつ詳細を全然説明しないのに、知能が普通以下の被告人が、どうして脱税だと判断できる筈があろうか。
2 相続税の仕組みは、素人には、大変分かり難くなっている。いや、税の専門家でも同様で、計算の仕方によっては、税額が半分になったりする。
例をあげよう。松原義貫は、被告人の相続税額を、約一億三、〇〇〇万円と算定していた。ところが、検察官は、起訴状で、これが六、五五七万六、三〇〇円だと主張している。約半分である。
しかし、これも正確ではない。山本昭市東京国税局長が、原裁判所へ回答した文書によると、六、八四〇万九、六〇〇円が、正しいようである(昭和六一年二月八日付同局長「納税額の照会に対する回答」参照)。
なお、原判決は、この点を起訴状記載のとおりに認定しており、事実誤認を犯している。
このように、それぞれ税法の専門家が計算しても、大幅に違った数字のでる相続税のことであるから、ずぶの素人が、ただ単に「税金が安くなる」とか、「税金が半分になる」と聞かされても、それがどのような操作によってそうなるのか、簡単に判断できるものではない。
3 次に、塚越の検察官調書を検討してみよう。
同人の昭和六〇年八月一二日付検察官調書の第四項は、被告人を勧誘した際の状況について
「一夫さんには
四国の方に偉い人がいて、税金を安くしてくれるというんで、うちでは一切任せてやってもらった。半分位で済んだ。おめえんところも、もしその気があるんなら、相談にのるからよ。先方に連絡するからよ。
というふうに言いました。
一夫さん方の庭先で、立ち話だったと思います。話したのはこの程度で脱税だとか、税金は一銭も払わないで、半分というのは、先方への謝礼分だ、などということは言いませんでした。」となっている。
この供述で重要なところは、塚越は被告人に対して、「偉い人が……税金を安くしてくれる」という言葉を使い、「うちでは」(税金)が「半分位で済んだ」と述べて、勧誘している点である。
つまり、被告人担当の捜査官が被告人の調書に記載したように、税金を全く支払わず、脱税工作の謝礼として「税金の半分くらい」かかるのだ、と理解できるような言葉が全く使われていない点が、極めて重要である。
4 この様な勧誘では、誰でも、合法的な節税の勧めと受け取るのが当然であろう。
被告人でなくとも、脱税を勧められているものと考える余地は毛頭もない、と言わざるを得ない。
5 もちろん、塚越担当の捜査官も、こんな勧誘では脱税の勧めにはならず、共謀が成立する余地もないと考えたらしく、次のような蛇足を加えている。
「なお、一夫さんには、私からは、いま言った以上のことは、その後も、説明していませんが、一夫さんも、これが脱税だということは、早い時期に判ったようです。」と。
そして、このように推測する理由として
「一夫さんの方から、どうして安くなるんだというようなことを一度も聞かれたことがなかったので、そう思うのです。」と述べている。
(なお、この点について、塚越は第三〇回公判において、「この供述は捜査官が勝手に書き入れたもので、自分の言ったことではない」旨供述しており、また、不同意部分として証拠になっていないが、原審裁判官の目に入っており、裁判官も捜査官と同様の推測をしているかも知れないので、念のために反論しておきたい。)
6 これは、大変非常識な理屈であり、また、その前提を誤っている。
第一に、この理屈は、税金が安くなるのはすべて脱税行為によるという前提にたっている点において、大変非常識である。
各種の経済新聞に載る広告や、新宅銀行や不動産会社の広告などを見て頂きたい。首都圏の土地が異常に値上りしたために、相続税対策を教える相談窓口が、至るところに開かれている。
新宿駅の構内などには
「地価高騰で、人ごとでなくなる?
相続税対策は、お早めに!」というような大きな広告が出ている。
今の世の中には、合法的に節税する方法がいくらもあることは、もはや社会常識である。
そのいい例が、最近死亡した国際興業株式会社の社主小佐野賢治氏の場合である。新聞報道によると、同氏の遺産は数兆円で、その遺族は二、三兆円にのぼる史上最高の相続税を納めることになるだろう、と誰もが考えていた。
ところが、一五名の顧問税理士による節税対策の結果、相続税の対象になる遺産は僅か六〇億円に縮小したとのことである。
第二に、この理屈は、被告人が一般人に比較して知能が低く税法のしくみを理解できないこと、被告人と塚越は長年にわたって信頼し合っている仲であること、等を理解していない点において、その前提を誤っている。
被告人が「どうして安くなるんだ」と聞かなかったのは、知能が低いために難しい相続税のしくみを聞いても理解できないからである。
そこで、この世の中で最も信頼する塚越が、「偉い人が……税金をやすくしてくれる。うちでは………半分位で済んだ」といって熱心に勧めるので、塚越に任せれば間違いないと思って何も聞かなかっただけなのである。いかに被告人が馬鹿でも、それ迄に塚越から迷惑をかけられるようなことが一度でもあれば、詳しく質問した筈である。しかし、被告人の五〇年にわたる人生において、今迄に、塚越から助けられこそすれ迷惑をかけられたことは、一度もなかったので、安心して、同人に任せたのである。
7 人を有罪とするためには、事実に基づくことを要する。単なる理屈や推測によって、人を断罪できないことは言うまでもない。
ところが、塚越の検察官調書の前記記載は、単なる推測・単なる理屈をもって重要な事実に代えようとするものである。
したがって、これでは人を処罰できないことは、言うまでもない。
8 結局のところ、塚越の検察調書の記載は、捜査官の意図とは逆に、被告人は塚越から脱税工作について何らの説明も受けなかった事実を、明確にしているものと言わねばならない。
これは、大変重要な事実である。
本件事案の最重要点とも言うべきことである。
というのは、お人好しの被告人は、捜査官の強制によって塚越の言わないことまで聞いた、と「自白」させられているからである。
(小島・庄司に依頼した時点での認識)
1 被告人が、昭和五八年八月一九日、赤坂東急ホテルで、小島や庄司に面会した際、脱税工作がなされることを、誰かから説明を受けた事実はない。これは、本件の全ての証拠を検討すれば、自ら明らかとなる。
2 また、被告人が、同年五月下旬から八月一九日迄の間に、同じようなことを塚越その他から説明された事実がないことも、右同様に明らかである。
3 となると、被告人は、八月一九日の時点で、脱税の認識が全くないのであるから、小島と庄司に脱税工作を依頼したというのは、明らかに事実に反する主張である。
(相続税申告書提出の時点での認識)
1 次に、検察官の主張とは離れるが、念のため、昭和五八年九月二二日、藤沢税務署へ相続税申告書を提出する直前に、世俵が被告人に脱税工作のことを説明し、被告人が脱税工作を認識したか否かも検討してみる。
2 小島・庄司・塚越の各検察官調書にはいずれも、九月二二日、被告人の相続税申告書を税務署へ提出しに行く直前、待ち合わせした喫茶店「井筒」で、世俵が相続税申告書らしき書類を被告人に見せながら、何か説明していた旨の記載がある。
そこで、原審弁護人が、公判廷で、右各相被告人に対して、この点を確かめたところ、どの相被告人も、右のような事実を目撃していないと明確に供述した。
(もっとも、この点は塚越第三〇回公判廷速記録六二丁表・裏にしか記載されていないが、それは原審弁護人が、原審裁判長の「その他の相被告人の検察官調書には同意しているから反対尋問権はない」旨の制止を押し切って尋問した結果であるため、公判速記録から削除されたものである。)
したがって、これらの記載は、世俵の供述をもとにして、捜査官が、各被告人に押しつけたものであることが明らかである。
3 職業柄、「顧客に対し申告書の内容を説明しなかった」とはいえない立場の世俵も、原審弁護人の質問に対して、「結論を一言ふたこと言っただけで、到底被告人の理解を得るような十分な説明ではなかった」事実を、明確に認めている。
座ったままの世俵が、テーブルの上に書類をおいて、要点を簡単に説明しようとしたが、老眼鏡なしには活字が見えない被告人が、立ったままで老眼鏡なしの状態だったというのである(第二四回公判速記録五五八丁以下)。
人一倍理解力に乏しい被告人が、何の予備知識もなしに、禅問答のような説明で、専門的な知識・経験を要する脱税工作を理解できるわけがない。
第一、老眼鏡なしでは肝心の数字が見えない。世俵のいう言葉は聞こえても、その意味は全く分からなかった、というのが真相である。
(三) 結論
以上、詳細に検討したところによって、被告人が、相続税申告書を提出する以前、脱税工作つまり「架空の保証債務を計上して、課税価格を減少させる方法」を認識していたことを立証する客観的な証拠が、何ひとつ存在しないことが明らかとなった。
六 所得税法違反の故意について
(一) 検察官の主張
1 起訴状によると、被告人は、「長期譲渡所得税につき、架空の保証債務を計上する方法により……所得税を免れようと企て、共謀の上……昭和五九年三月一三日、藤沢税務署長に対し、……虚偽の所得税確定申告書を提出し」たとなっている。
2 これでは抽象的でよく分からないので、具体的に何が被告人の犯行とされるのかを、冒頭陳述書によって見ると、検察官の主張は次のとおりである。
「昭和五八年六月上旬ころ、矢部は塚越に対し、土地譲渡所得税についても、脱税工作を小島らにしてほしい旨伝え
同年八月一九日、塚越及び矢部は、赤坂東急ホテルで、小島及び庄司に対し、矢部の土地譲渡所得税についての脱税工作を正式に依頼し
同年一二月上旬ころ、小島は世俵に対して、架空債務を計上して脱税する方法を指示し
昭和五九年二月上旬ころ、世俵・新開は、右指示に従って虚偽の所得税申告書を作成し
同年三月一二日、小島が、この申告書を藤沢税務署へ提出して脱税した。」
3 これによると、被告人が、塚越及び小島・庄司らに対して、所得税の脱税工作を依頼したことが犯罪とされている。
(二) 検察官の主張の誤り(補強証拠の検討)
1 ところが、昭和五八年六月上旬ころ、被告人が塚越に対して、土地譲渡所得税の申告について、小島らに、脱税工作を依頼してほしいと頼んだことを認定できるような証拠は、塚越の法廷での供述にはもちろんのこと、同人の検察官調書のどこを見ても、全くない。
2 また、昭和五八年八月一九日、被告人が、赤坂東急ホテルで小島・庄司に面会した時、脱税工作を依頼した、つまり、被告人が、彼等の手で脱税工作が行なわれていることを承知していながら、同人らに税務申告の代理を依頼した、という検察官の主張を裏付けるような証拠は、法廷に、何一つ提出されていない。
(三) 結論
以上の検討によると、被告人が、所得税について、脱税工作、つまり「架空の保証債務を計上する方法により所得税を免れる」工作が行なわれることを、予め認識していたことを示す客観的な証拠は、何ひとつないことが明白である。
つまり、検察官の主張は、客観的な証拠の裏付けがなく、被告人の「自白」だけを根拠としていることが明らかである。
七 被告人の原審公判における供述の検討-故意の不存在(原判示第二の一、二)
次に、被告人の公判廷における供述から、相続税および所得税について、予め脱税工作を認識していたか否かを検討してみる。
(一) 塚越から誘われた時点での認識
1 被告人は、塚越が
「おれのところも半分ぐらいで済んだから、お前のところじゃどうするんだ」といって誘った。と述べている(第二七回公判速記録五丁裏)。
この言葉は、塚越の相続税が半分だったといっているのみで、被告人の場合にはどうなるかということを、明確には述べていない。
しかし、被告人は、塚越に頼めば自分の税金も普通の手続で納める場合の半分になる、という意味に理解したといっている。
2 ところが、このことを説明するのに、気の弱い被告人は、いつ迄も検事調書の記載にこだわって、「税金の半分」というために、検察官に言葉尻を捕らえられて、混乱するのである。
つまり、検察官が「税金が半分」ではなく「税金の半分」なら、「お礼が税金の半分」という意味ではないかと追求するため、理屈に弱い被告人は、返事に困ってしまうのである。
繰り返すが、記録のどこを見ても、塚越は、被告人の相続税について、「税金の半分」などという言葉を述べていないのである。
3 さらに重要なことは、公判廷で、「税金の半分ぐらいでやってくれる」とか「税金の半分ぐらいでやってもらえる」という言葉がでてくるのは、検察官の誘導の言葉であり、被告人の口から出た言葉ではない。
主尋問の際の誘導尋問は、その返答に信用性がないことは、今更言うまでもない。殊に被告人は、質問の意味をよく理解していない儘、簡単に誘導尋問を肯定してしまう性質があるので、被告人が詳しく述べた言葉以外は証拠として価値がない。
4 いずれにしても、被告人が、塚越から誘われた時点で、脱税工作、つまり「架空の保証債務を計上して、課税価格を減少させ、あるいは所得税を免れる方法」が行なわれることを、既に認識していたという事実を、認めることができない。
(二) 庄司らに依頼した時点での認識
八月十九日、被告人が庄司・小島らに依頼した時、脱税工作した上で税務申告する計画について、誰からも説明を受けていない。
したがって、被告人は、この時点で、脱税の認識がなかったことは明らかである。
(三) 九月二二日の時点での認識
昭和五八年九月二二日、被告人は、喫茶店「井筒」において、世俵から申告書の記載について、一言ふたこと説明をうけたが、脱税工作について何らの理解も得られなかったことは、公判廷の供述でさらに明確になった。
(四) 所得税の申告と脱税の認識
公判廷のすべての供述を検討しても、被告人が、塚越から、所得税の申告について脱税工作がなされる旨の説明を受けた事実を、認めることができなかった。
さらに、被告人は、庄司や小島からも、所得税の脱税工作について説明を聞いたことがないもの、と認められた。
(五) 結論
このように、被告人の公判廷での供述からは、被告人が、脱税工作、つまり「架空の保証債務を計上して、課税価格を減少させ、あるいは所得税を免れる方法」が行なわれることを認識しておりながら、敢えて、自分自身であるいは塚越を介して、庄司や小島らに対し、相続税および所得税について税務申告の代理を依頼したものと認定することは、不可能というべきである。
八 共謀の不存在
(一) 塚越との共謀
1 塚越は、捜査当時も公判になってからも、「被告人に対して、脱税工作について、何らの説明もしなかった」と終始一貫して述べていることは、これまでの検討によって明白になっている。
2 他方、被告人も、八月一二日付検察官調書第五項で
「私は、税金を安くするのに、どういう方法が具体的にあるのかまでは、塚越さんから、当時、まだ聞かされていませんでした。」(一二丁表)。
と述べている。
(「当時」とは、塚越から勧誘された時のことである。
なお、抽象的にも、脱税工作のことを聞かされていなかったことは同調書一〇丁記載のとおりである。)
では、塚越から、その後に、脱税工作の説明を受けたことを認定できるような証拠が、何かあるであろうか。何ひとつない。
したがって、被告人と塚越の間で、脱税工作について何らの話合いもなかったことは、明らかである。
(二) 小島・庄司・世俵らとの共謀
1 世俵以外の原審相被告人が、被告人に対し脱税工作の説明をした事実がない。
被告人と庄司の間の会話は、「お願いします」「いいですよ」という簡単なものだけであった(同調書二四丁裏)。
2 世俵が、九月二二日、被告人に対し相続税申告書記載の要点を説明しようとしたが、果たせなかったことは、前に述べたとおりである。
また、世俵は、所得税の脱税工作については、被告人に、何の説明もしていない(被告人六〇年八月一三日付検察官調書二五丁裏)。
(三) 結論
このように、被告人に対して、具体的に、脱税工作つまり「架空の保証債務を計上して課税価格を減少させ、あるいは所得税を免れる方法」を説明して、その理解を得た原審相被告人は一人もいない。
これでは、検察官が主張する「共謀」は、砂上の楼閣であると言わねばならない。
第四 おわりに-被告人は被害者である
以上述べたところから、原審が、有罪とすべからざる被告人を有罪とする、誤った裁判を下したことを、ご理解願えたと思う。
1 本件は大変奇妙な事件である。
何が奇妙かといえば、他人を騙して大変な利得をした者と、全く事情が分からない儘で事件に巻き込まれてしまい莫大な損害を被っている者が、等しく被告人として訴追されていることである。
2 被告人は、小島に支払った金員のうちの二七五万円、庄司に払った金員のうちの約金三、四〇〇万円を、いまだに返して貰っていない。
また、被告人は、本件に巻き込まれたために、国税の延滞税・重加算税で金合計五、五八八万二、七〇〇円、地方税の延滞税で金一〇万九、九〇〇円を、さらに弟や妹の国税の延滞税・重加算税として、合計金一、五六一万〇、七〇〇円を支払った。以上の総合計は、金七、一六〇万三、三〇〇円である。
この予定外の支払いのために、被告人は、勾留中にもかかわらず、妻マツ子を代理人として
藤沢市湘南台五丁目一四番一 宅地 一、八一〇・四三平方メートル
を売却せざるを得なかった。
この結果、被告人は、折角相続した財産のうちの目ぼしい土地を全部なくしてしまい、裸同然になってしまった。
3 ところで、乙第一六号証の岡山地裁判決をごらんいただきたい。
岡山地方検察庁及び同地方裁判所は、右に述べたような奇妙な事態の発生を回避するため、脱税引受人を処罰したが、彼らに金を支払った者は被害者として扱い、何らの処罰もしていない。
同じ法律を適用する検察庁と裁判所が、全く同じ立場の者を、岡山では被害者として保護し、横浜では被告人として刑罰を科するようなことがあったら、著しく不公平であり正義に反することが明白である。
4 被告人は頼り切っている塚越から「税金が半分で済む」とすすめられ、同人に一切を任せてしまったため、それと知らずに危ない橋を渡らされてしまったのである。
しかも、前述したように、被告人は塚越から「俺にも一寸くれよ」と言われて三、〇〇〇万円取られているのである(後で返して貰ったが)。
したがって被告人は、小島ら脱税請負人の被害者であるばかりでなく、塚越に対する関係でも被害者なのである。
5 もう一度繰り返すが、被告人は、被害者なのである。
塚越を信用したばかりに、何の事情もわからないまま事件に巻き込まれてしまった。そして、知能が低く気が弱いばかりに、塚越が言わないことまで聞いたと自白させられたために、起訴されてしまったのである。
そして、原審の、捜査結果にそのまま乗っかった安易な-そのことは原判決が自白の任意性・信用性、事実認定について何らの説明をしなかったことや、極めて妥協的な軽い量刑によって明らかである-態度によって有罪とされてしまったのである。原裁判所は、裁判官が持つべき高次の「眼」と「耳」と「心」を欠いている。
塚越に頼り切って暮して来たばかりに、このような目にあった被告人夫婦は嘆き悲しみ、本件の真相-被告人は被害者に過ぎないこと-が裁判所によって理解されて、被告人が無罪になることを乞い願っている。
6 英語のジャステス、つまり「正義」が「裁判」をも意味するように、裁判の生命は正義である。
正義とは、等しい者は等しく、等しからざる者は等しからざるように、扱うことである。
被害者を、加害者と同様に扱おうとすることの無理が、至るところに現れている。
正義に反する裁判は、被告人も国民をも納得させることができない。谷口正孝前最高裁判事の言われるような「刑事裁判は、捜査における検察官の主観の追認と量刑作業という非訟手続きに終わってしまうことになりかねない」との批判を受けることのないよう、原判決を破棄して無罪とし、被告人のために正義を回復されたい。
<省略>